江戸初期の大名。家康の第9子。御三家の筆頭尾張(おわり)家の祖。慶長(けいちょう)5年11月28日大坂城西丸(にしのまる)で石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の神官志水宗清(しみずむねきよ)の娘お亀の方(相応院)を母として生まれる。幼名は千々世丸、のち五郎太丸。1603年(慶長8)甲府25万石を与えられ、06年元服して義知(よしとも)と名のり、しばらくして義利(よしとし)と改名。翌年尾張(愛知県)清洲(きよす)城主となり53万9000石。10年、新たに築かれた名古屋城主となる。大坂冬・夏の陣には家康とともに参加し、15年(元和1)浅野幸長(よしなが)の娘と結婚し、61万9000石に加増。翌年の家康の死後に駿府(すんぷ)を離れて初めて尾張に入国した。21年義直と改名し、26年(寛永3)従(じゅ)二位権大納言(ごんだいなごん)。学を好み儒教を奨励し、城内に孔子廟(びょう)を営んだ。著書『神祇(じんぎ)宝典』『類聚(るいじゅう)日本紀』など。慶安(けいあん)3年5月7日江戸に没した。墓は水野村定光(じょうこう)寺(愛知県瀬戸(せと)市)。
[高木昭作]
『中村孝也著『家康の族葉』(1965・講談社)』
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(上野秀治)
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1600.11.28~50.5.7
江戸初期の大名。御三家の一つ尾張徳川家の祖。徳川家康の九男。母は側室相応院(お亀の方)。1603年(慶長8)甲斐国府中25万石をへて,07年尾張国清洲に入封,10年名古屋城に移り,19年(元和5)には尾張・美濃国などで計61万9000石余を領した。26年(寛永3)従二位権大納言に叙任。成瀬正成・竹腰正信ら付家老(つけがろう)の補佐を得,法令や職制の整備,家臣団への知行割など初期名古屋藩の藩政を推進。儒教を奨励し,城内に聖堂を営んだ。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…07年忠吉は病死し嗣子がなく絶家。家康の九男徳川義直が甲斐府中城主から清須城主となり尾張一円を領したが,幼少のため従来どおり駿府の家康の手もとにとどまり,吉次を常陸笠間に移し義直の重臣平岩親吉を入れ9万3000石を領し代わって国政を執らせた。翌年検地実施,高47万2344石と定まる。…
…1600年(慶長5)関ヶ原の戦後,清須城主福島正則に代わり,徳川家康の四男松平忠吉が入封したが,07年無嗣断絶。あとへ家康の9子徳川義直が甲斐より移封,翌年将軍秀忠の尾張一国を領知すべき旨の判物を受けた。しかし当時義直は幼少で駿府の父のもとにあり,国政は傅(もり)役の平岩親吉がとった。…
※「徳川義直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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