ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クレメンス11世」の意味・わかりやすい解説
クレメンス11世
クレメンスじゅういっせい
Clemens XI
[没]1721.3.19. ローマ
ウルビノ出身の第243代教皇(在位 1700~21)。本名 Giovanni Francesco Albani。貴族出身で古典,神学理論,教会法の高い教育を受けた。1690年に助祭枢機卿(→カーディナル)となり,1700年11月に教皇に選出された。在位中は教皇の権力の衰退期であり,クレメンス11世の外交政策は奏功しなかった。スペイン継承戦争(1701~14)の戦禍を避けようとしたが,神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世(在位 1705~11)に教皇領のナポリを制圧され,ヨーゼフ1世の弟でのちの神聖ローマ皇帝カルル6世(在位 1711~40)をスペイン王として認めるよう強要された。その結果,スペイン王フェリペ5世(在位 1700~24,1724~26)との関係は断絶し,ユトレヒト条約(1713~14)をはじめとする講和条約ではナポリ王国などにおける教皇の宗主権が無視された。クレメンス11世はフランスのガリア主義とジャンセニズムの問題にも巻き込まれた。教皇勅書でジャンセニズムを弾劾したが,たび重なる反発を招いてフランスとの関係が悪化した。また,中国での布教において孔子と先祖を崇敬する儀礼を容認せず,中国式典礼を禁止した(→中国のキリスト教)。
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