チャールズ1世(読み)チャールズいっせい(英語表記)Charles I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チャールズ1世」の意味・わかりやすい解説

チャールズ1世
チャールズいっせい
Charles I

[生]1600.11.19. ダンファームリン宮
[没]1649.1.30. ロンドン
イギリス,スチュアート朝のイングランド王(在位 1625~49)。ジェームズ1世の二男。兄の死により 1616年皇太子。初代バッキンガム公の斡旋によるスペイン王女との縁組みに失敗し,1624年フランス王アンリ4世の娘ヘンリエッタ・マリアと婚約。1625年3月即位し,直後に結婚。課税とバッキンガム公失政を追及する第1議会,第2議会(1625~26)を解散したため,国民の反感は高まり,第3議会は 1628年「権利請願」を可決国王はいったんこれを承認しながらも翌 1629年議会を解散し,以後 11年間無議会時代と呼ばれる専制を開始した。ウィリアムロードストラッフォード伯を政治顧問にして国教会体制の強化,船舶税その他の課税強行などの「徹底政策」を実施したが,主教戦争を引き起こし,戦費調達のため,1640年4月短期議会招集した。続いてスコットランドへの賠償金に窮して,同 1640年11月長期議会を招集。議会は国王側近の処罰,大権裁判所の廃止,同意なき課税の撤廃などの改革に着手し,王の失政を非難した大抗議文を発表したため,王は五議員事件を強行して対立極点達し,1642年秋清教徒革命が勃発した。緒戦は王に有利に展開したが,1645年ネーズビーの戦いで敗れて以来劣勢に陥り,1646年スコットランド軍に投降し,さらに議会軍に身柄を引き渡された。スコットランド軍と密約を結んで第2次内乱を起こしたが,1648年再び敗れ,翌 1649年1月裁判にかけられ,暴君,反逆者,公敵として処刑された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報