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徳川慶篤 とくがわ よしあつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川慶篤 とくがわ-よしあつ

1832-1868 江戸時代後期の大名。
天保(てんぽう)3年6月3日生まれ。徳川斉昭(なりあき)の長男。妻は幟子(たかこ)女王。徳川慶喜(よしのぶ)の兄。天保(てんぽう)15年父が幕命で隠退謹慎し,13歳で常陸(ひたち)水戸藩主徳川家10代となる。尊攘(そんじょう)派と保守派による藩内抗争がはげしく,藩内鎮撫のための対応に苦慮した。慶応4年4月5日死去。37歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

徳川慶篤

没年:明治1.4.5(1868.4.27)
生年:天保3.6.3(1832.6.30)
幕末,藩内抗争が激烈を極めたときの第10代水戸藩主。諱は慶篤,字は子有,幼名は鶴千代。南山と称す。諡は順公。父徳川斉昭の長男,母は正室吉子。弘化1(1844)年5月に父斉昭が幕命によって隠居謹慎になり代わって藩主となったが,藩政の実権は後見の高松藩主松平頼胤や藩内結城派が掌握した。嘉永6(1853)年,父が藩政復帰し実権を再び掌握した。安政5(1858)年,父と共に日米修好通商条約の無断違勅調印に抗議して江戸城に不時登城して登城停止の処分を受けた。文久3(1863)年,朝命により横浜鎖港に当たった。性格は優柔不断で,天狗党と諸生党との藩内対立,流血を結果的に放任した。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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