朝日日本歴史人物事典 「徳川慶篤」の解説
徳川慶篤
生年:天保3.6.3(1832.6.30)
幕末,藩内抗争が激烈を極めたときの第10代水戸藩主。諱は慶篤,字は子有,幼名は鶴千代。南山と称す。諡は順公。父徳川斉昭の長男,母は正室吉子。弘化1(1844)年5月に父斉昭が幕命によって隠居謹慎になり代わって藩主となったが,藩政の実権は後見の高松藩主松平頼胤や藩内結城派が掌握した。嘉永6(1853)年,父が藩政復帰し実権を再び掌握した。安政5(1858)年,父と共に日米修好通商条約の無断違勅調印に抗議して江戸城に不時登城して登城停止の処分を受けた。文久3(1863)年,朝命により横浜鎖港に当たった。性格は優柔不断で,天狗党と諸生党との藩内対立,流血を結果的に放任した。
(吉田昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報