徳法寺跡(読み)とくほうじあと

日本歴史地名大系 「徳法寺跡」の解説

徳法寺跡
とくほうじあと

[現在地名]南国市岡豊町中島

中島なかじまのほぼ中央にあった浄土真宗寺院。本尊阿弥陀如来。創建年次などは不詳だが、「南路志」には「一向宗西派 本尊阿弥陀」とみえ、明治初年には三二代の境内があり、檀家一六〇戸を有したという。その後廃寺となる。

寛政一二年(一八〇〇)中島村に社倉が設けられた。土佐藩の儒者宮地仲枝が箕浦江南より聞いた話の記録(「南国市史」所引)に「中島村徳法寺若僧、社倉之法申合、一在所能信服して今度二間はり、三間の倉を建て、米麦稗積納めしと也。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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