忍海庄(読み)おしのべのしよう

日本歴史地名大系 「忍海庄」の解説

忍海庄
おしのべのしよう

布勢ふせ町・小一条こいちじよう町付近に比定され、「おしのうみ」とも訓ずる。貞応三年(一二二四)以後と推定される宣陽門院領目録(島田文書)に、女房別当三位家(五条邦綱の女で高倉院乳母邦子か)領として「近江国忍海庄」がみえる。正安二年(一三〇〇)一一月一八日の後深草上皇譲状(尊経閣所蔵文書)では、新長講堂(跡地は現京都市上京区)の所領として「おしのうみ」が確認できる。応永一四年(一四〇七)の長講堂領目録写(八代恒治氏旧蔵文書)にも女房別当三位家領とみえ、領家職は鹿王ろくおう(現京都市右京区)から清閑せいかん(現同市東山区)に寄進されたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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