日本歴史地名大系 「志幸八幡宮」の解説 志幸八幡宮しこうはちまんぐう 広島県:三次市志幸村志幸八幡宮[現在地名]三次市志幸町馬洗(ばせん)川に接する小さな丘の上に鎮座する。品陀和気命ほか一三柱を祀る。旧村社。元亀二年(一五七一)三谿(みたに)郡辻(つじ)八幡宮(現双三郡吉舎町)より勧請したと伝え、志幸・糸井(いとい)・大田幸(おおだこう)・小田幸(こだこう)・木乗(きのり)・上田(うえだ)、および岡田(おかだ)・長田(ながた)(現双三郡三良坂町)、敷地(しきじ)・海田原(かいだはら)・矢野地(やのち)・矢井(やい)(現吉舎町)の計一二村の産土神であったが、明治四年(一八七一)多くは分離した。宝暦一二年(一七六二)志幸八幡宮の氏子であった敷地村の農民が、遠距離で参詣に不便、祭礼の費用分担が多いなどの理由をあげて、新たに神社を普請して志幸八幡宮参詣を拒否したことから争いが生じたということもあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by