貴船神社(読み)きぶねじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「貴船神社」の意味・読み・例文・類語

きぶね‐じんじゃ【貴船神社】

[一] 京都市左京区鞍馬貴船町、貴船山の中腹にある神社。旧官幣中社。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)。平安京の水神で祈雨、止雨の神としてあがめられた。全国約二八〇の貴船神社の総本社。貴布禰神社。木船神社。
[二] 山形県東田川郡羽黒町にある神社。旧郷社。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)、闇龗神(くらおかみのかみ)。大宝三年(七〇三)山城国(京都市)の貴船神社を勧請(かんじょう)したといわれる。

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デジタル大辞泉 「貴船神社」の意味・読み・例文・類語

きぶね‐じんじゃ【貴船神社】

京都市左京区にある神社。祭神は闇龗神くらおかみのかみ高龗神たかおかみのかみ。古くから祈雨・止雨の神として信仰を集めた。

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日本歴史地名大系 「貴船神社」の解説

貴船神社
きぶねじんじや

[現在地名]左京区鞍馬貴船町

貴船口より貴船川上流へ一・八キロの地に鎮座。貴船山麓に本社が、さらに川を約五〇〇メートルさかのぼったところに奥宮がある。古くは麓の社を遥拝所、奥宮を本社としていた(神祇志料)。旧官幣中社。「延喜式」神名帳の愛宕おたぎ郡に「貴布禰キフネノ神社名神大、月次新嘗」とみえる。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔信仰〕

社伝によれば玉依たまより姫が黄船に乗ってよど川から賀茂かも川を経て貴船川畔の当地に上陸し一宇の祠を営んだのが創建と伝えるが、元来は木生根きぶね(木生嶺)の神であったといい、樹木の生茂る山林の神としてこの地域の地主神だったといわれる。「今昔物語集」巻一一(藤原伊勢人始メテ鞍馬寺ヲ建テタル語)に「王城ミヤコヨリ北ニ深キ山有リ。其体ヲ見ニ二ノ山指出テ、中ヨリ谷ノ水流出タリ。絵ニ書ケル蓬莱山ニ似タリ。山ノ麓ニ副テ河流レタリ。(中略)翁ノ云ク、汝吉ク聞ケ、此所ハ霊験掲焉ナラム事、他ノ山ニ勝レタリ。我レハ此山ノ鎮守トシテ貴布禰ノ明神ト云フ。此ニシテ多ノ年積レタリ」とある。祭神は水をつかさどるくらい神ともたかおかみ神また罔象女みづはのめ神ともいわれる。

賀茂川の水源の地に祀られているところから、平安遷都後は治水の神、祈雨祈晴の神として崇敬され、弘仁九年(八一八)五月八日には大社に列せられ、同六月二一日には従五位下を授けられている(日本紀略)。「延喜式」神祇三(臨時祭)に「貴布禰社各加黒毛馬一疋、自余社加庸布一段、其霖雨不止祭料亦同、但馬用白毛」と記され、その後も炎旱霖雨のあるごとに朝廷より奉幣使が派遣されている。賀茂川の河上との意で河上かわかみ社・かわ社ともよばれ、藤原俊成が詠じた「五月雨は岩波洗ふ貴船川河社とは是にぞありける」(玄玉集)のように、貴船神社こそが恒久的な河社であるという認識も生れている。

貴船神社
きふねじんじや

[現在地名]青森市野内 鈴森

野内のない集落の東北、鈴森すずもり山にある。祭神は高神。旧村社。

社伝によれば大同二年(八〇七)坂上田村麻呂が勧請し、文治五年(一一八九)平泉ひらいずみ(現岩手県西磐井郡平泉町)衣川ころもがわの戦に敗れた源義経が、蝦夷地渡海の途次この地で海上の安全を祈願したという。元禄九年(一六九六)四代藩主津軽信政が郡内四社の一つとして社殿を建立した。郡内四社には、年一度風雨順調・五穀豊饒を祈願する藩主の代参が行われた。末社として創建年月不詳、元禄一四年再建、弘化三年(一八四六)廃社、その後再建の弁天宮と、天明年中(一七八一―八九)まで宮建のあった神明宮がある(青森市史、「神社微細社司由緒調書上帳」最勝院蔵)

貴船神社
きふねじんじや

[現在地名]兼山町 宮町

兼山町西方、名鉄八百津線兼山口かねやまぐち駅の北東の丘陵上、旧江畠えばた町にある。旧郷社。祭神は水波能女神。社伝では大治二年(一一二七)山城国貴船神社から勧請されたという。文禄四年(一五九五)には別当寺真言宗清龍せいりゆう寺の金蓮により社殿そのほかが修復され、金蓮は同寺中興開山と称されたという。慶長三年(一五九八)三月、森仙千代(忠政)大檀那として社殿そのほかが再興された(当社蔵棟札)。その後、貞享三年(一六八六)の再建棟札のほか、正徳三年(一七一三)・宝暦七年(一七五七)・安永元年(一七七二)・文政元年(一八一八)・天保一〇年(一八三九)と度々社殿などの修理の際の郷中繁盛・諸願成就を祈る棟札が残る。

貴船神社
きぶねじんじや

[現在地名]竜洋町掛塚

天竜川に架かる掛塚かけつか橋の東方に鎮座する。祭神は高神、旧郷社。創立年代は不明で天正四年(一五七六)社殿の再建がなされたという。掛塚湊の発展とともに栄え、海上交通の安全、漁業・農業の守護神として崇敬された。正保郷帳によると社領五石。慶安元年(一六四八)社領八石を寄進され(「徳川家光朱印状写」社蔵文書)、以降代々の将軍により安堵された(社蔵文書)。祭礼は八月二二日(遠淡海地志)。寺宝として鏡(元禄一〇年寄贈)・船(宝暦一一年寄贈)等がある。一〇月の第三土曜・日曜の例祭日に営まれる掛塚祭屋台囃子は県指定無形民俗文化財。伝えによれば南北朝時代後醍醐天皇の皇子宗良親王が遠江国井伊谷いいのや(現引佐町)に向かうため、延元三年(一三三八)伊勢の大湊を軍船数十艘に分乗して出航したが遠江の沖で暴風雨にあい、親王の船は白羽しろわの浜に流れ着いた。

貴船神社
きぶねじんじや

[現在地名]関市貴船町

市街地西部にあり、樹齢七〇〇年といわれる杉などの社叢に囲まれて鎮座する旧郷社。祭神は弥都波能売之神・高神、旧号は八龍社という。明治二年(一八六九)の関村明細帳によれば、境内東西三五間・南北五〇間、別当寺は一透いつとう寺。天正一八年(一五九〇)一一月二五日の長谷川五郎右衛門尉寄進状(貴船神社文書)に「関八龍宮」とみえ、屋敷年貢高一斗余が寄進されている。明治初年の神社明細帳(県立歴史資料館蔵)などによれば、創建は天平一八年(七四六)六月といわれ、美濃国神名帳にみえる武儀むぎ郡の「正六位上きり山明神」に比定される。理由は関村の支村に桐山きりやま(現在の大字倉知の桐谷)があったことにより、同地より現在地に移転したともいう。

貴船神社
きふねじんじや

[現在地名]加賀市小塩町

小塩おしお町の北西端近くにある旧村社。明治四二年(一九〇九)地内にあった白山神社を合祀、現祭神は高神・菊理姫神。白山神社は古く刀何理とかり社と称し、小塩の鍛冶かじ山から海中の夫婦みようと岩まで延びていた岬の突端砥苅とかり崎にあったが、激しい海食で砥苅崎が海に没したため神社は小塩村の中央に移され、白山神社とよばれるようになったという。

貴船神社
きふねじんじや

[現在地名]黒石市沖浦

沖浦おきうらの西南高場こうば山の中腹権現平ごんげんだいらにあったが、第二次世界大戦後にじの湖の北の丘上に移された。高命を祭神とし、十湾田とわだ様とよばれ、浅瀬石あせいし川流域の治水・灌漑の守護神として尊崇される。雨乞・雨止の祈祷所としても有名で、分銅組若者日誌(黒石地方誌)の嘉永六年(一八五三)五月二四日の記事によれば、弘前・黒石の藩主がここで雨祭を行わせた。貴船神社由来記(新撰陸奥国誌)によれば、天正五年(一五七七)浅瀬石城城主千徳大和守の夢枕に神霊が現れ、大和守は浅瀬石に社殿を建立、慶長二年(一五九七)の千徳氏滅亡後、津軽為信が沖浦に移し、社領一五石を付し祀ったという。

貴船神社
きぶねじんじや

[現在地名]土佐山田町楠目 談議所

談議所だんぎしよの宮ノ谷に鎮座。祭神は水波女命。楠目くずめおよび小田島おだじまの産土神で、伊気いげ神社ほかを合祀し、境内にほし神社・竈戸かまど神社がある。旧郷社。

創建年代などは不詳。天正一七年(一五八九)の山田郷地検帳に「木船明神御供田内弐斗正月一日出、又カワラケ□□□□」と記した二反余の田地がみえるが宮床の記載はない。天保八年(一八三七)の「楠目村風土記」(「香美郡町村誌」所引)も長宗我部氏から正月一日に籾二斗の寄進を受けていたことを記す。

貴船神社
きぶねじんじや

[現在地名]中村市下田

下田しもだ集落の中央部、四万十しまんと川に面した小山丘上に鎮座し、集落を一望することができる。祭神高神・別雷神。旧郷社。江戸時代には貴船大明神(土佐州郡志)・貴布禰別雷神(南路志)などといわれた。

創祀時期は不詳だが、「南路志」は「社記曰く」として「崇徳院御宇、正一位右貴布禰神並摂社共元徳年中ニ当下田浦へ影向有、刑部左衛門と言人同年戊辰十月廿七日一社を造立し崇祭し奉る」と記す。刑部左衛門は後述の長崎刑部左衛門正利をさす。一方「皆山集」は元徳元年(一三二九)尊良親王の土佐配流に伴って勧請され、「同二年七月廿七日木舟谷ニ一宇ヲ造営」という。

貴船神社
きぶねじんじや

[現在地名]武雄市東川登町袴野

東川登ひがしかわのぼり町の中央部、古志喜こしき川の川端の田圃の中にある。祭神は玉依姫命。

元亨元年(一三二一)武雄領主一一代後藤光明が山城国の貴船神社の分霊を勧請したと伝えられる。旧郷社。

明和元年(一七六四)造立の鳥居銘には元亨元年の夏、大旱魃に見舞われ、領主後藤光明がこれを憂えて、山城の貴船神社の分霊を祀り雨乞いをしたところたちまち降雨があり、農作物は蘇生したという旨が記されている。

貴船神社
きふねじんじや

[現在地名]小川町上吉影 中坪

ともえ川の右岸高台に位置する。祭神は高神・闇神・罔象女命の貴船三神、ほかに高房神を祀る。旧村社。棟札によると大永六年(一五二六)には高房明神とあり、慶長一〇年(一六〇五)からは貴船高房大明神と記され、四神を合祀した。元文三年(一七三八)の奉納金の碑文には貴船神社とあり、上吉影かみよしかげ村をはじめ四八ヵ村の名がみえる。

貴船神社
きふねじんじや

[現在地名]大鰐町居土

居土いつち集落の南二里の山中にある。祭神は高神・闇神、旧村社。

十和田貴船とわだきふね宮と称し、創立不詳、元和六年(一六二〇)再建(「神社微細社司由緒調書上帳」最勝院蔵)。「南津軽郡是」は同年三ッ目内みっめない村・居土村とで建立したとする。三ッ目内村の貴船神社は遥拝所として元和六年創立という(南津軽郡是)。万延元年(一八六〇)の「津軽道中譚」は十和田山として「大鰐組下新田村領山中也。

貴船神社
きふねじんじや

[現在地名]小川町上合 鎮守山

ともえ川の右岸高台に位置し、左岸には主石ぬしいし神社(鹿島郡鉾田町大和田)が対称的に並び建つ。祭神は高神・闇神・罔象女命。旧村社。棟札によると長元元年(一〇二八)源頼信が勅命を奉じ、山城国貴船の大神を勧請して鎮斎した。

貴船神社
きぶねじんじや

[現在地名]真鶴町真鶴 宮ノ前

真鶴港南端の崖上にある。祭神は大国主神・少彦名神・事代主神、もと貴宮きのみや大明神と称した。旧郷社。慶安三年(一六五〇)写の文和元年(一三五二)貴宮大明神縁起(県史八)によれば、同年に平井浄玄が浜に漂着した船中の古仏像を安置したのが創始という。

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改訂新版 世界大百科事典 「貴船神社」の意味・わかりやすい解説

貴船神社 (きぶねじんじゃ)

京都市左京区鞍馬貴船町,賀茂川の上流,山深い貴船川の渓谷の地に鎮座。水の神である高龗(たかおかみ)神をまつる。古くは木船,木布禰,黄船,貴布禰などとも記されたが,明治以降貴船と定める。古代より水の神,炎旱を祈る神として信仰され,平安京遷都ののち,同じ性格の大和国丹生川上(にゆうかわかみ)神社とともに,丹貴二社と呼ばれた。818年(弘仁9)祈雨のため朝廷より祈禱使をつかわし,819年には止雨のため祈禱使をつかわし,以後祈雨には黒馬を,止雨には白馬を献上して祈るのが例となった。873年(貞観15)正四位下,1140年(保延6)正一位に叙された。延喜の制で名神大社,のち二十二社の一社とされた。佳境の地にあるため,貴族,歌人で訪れるもの多く,詩文に多く記されている。また,一般の信仰も篤く全国に勧請された。しかし,中世には朝廷のおとろえるとともに衰退し,近世には賀茂別雷(かもわけいかずち)神社が摂社のごとく扱っていた。旧官幣中社。もと本社はさらに上流の現在の奥宮の地にあり,1055年(天喜3)現在地に社殿を移したというが,社殿の下に神井があり,いずれにせよ京都盆地の水源神信仰より発した社である。例祭は6月1日であるが,江戸末期までは4月,11月の朔日(ついたち)に行われ,貴布禰御更(ごこう)祭,一名虎杖(いたどり)祭と呼ばれた。それは,前日禰宜(ねぎ)の館で神饌庖丁式を行って神饌を調理し,当日それをそなえ,奉幣し,終わってのち奥宮以下摂末社を巡拝,帰途山の花をとって,頭にさし市原野の馬場で歌を唱えた。現在の例祭では奥宮への神輿(みこし)渡御があるのみである。社伝では,本社には678年(天武7)より式年遷宮があったというが,現社殿は1628年(寛永5)の造営,以後に修理が加えられている。
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百科事典マイペディア 「貴船神社」の意味・わかりやすい解説

貴船神社【きぶねじんじゃ】

京都市左京区鞍馬貴船町に鎮座。木船,木布禰などとも。旧官幣中社。水神のタカオカミ神をまつる。延喜式内の名神大社。大和の丹生川上神社とともに丹貴(にき)二社と称された。諸国貴船社の総本社。例祭は6月1日。
→関連項目鞍馬鞍馬寺

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デジタル大辞泉プラス 「貴船神社」の解説

貴船神社

京都府京都市左京区、賀茂川上流域の渓谷にある神社。祭神はタカオカミノカミ。全国貴船神社の総本宮。水の神、縁結びの神として信仰を集める。

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事典・日本の観光資源 「貴船神社」の解説

貴船神社

(宮城県仙台市泉区)
杜の都 わがまち緑の名所100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「貴船神社」の意味・わかりやすい解説

貴船神社
きぶねじんじゃ

京都市左京区鞍馬貴船町に鎮座。元官幣中社。祭神はクラオカミノカミ。古来より祈雨,止雨の神として有名。例祭6月1日。

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