志幸村
しこうむら
[現在地名]三次市志幸町
美波羅川の東に平行して流れる小川に沿って位置するが、小田幸村・大田幸村を挟んで南北二郷に分れ、馬洗川に北接する北側が飛郷幸利、南側が本郷である。「芸藩通志」は「広四町余、袤十一町余、北はひらけて其余は皆山なり、飛郷を幸利とよび、西北大田幸・小田幸二村に隔る、広袤は本村よりも大なり、一水北に出、又飛郷、幸利に入り南川に会して西北に流る、此村時に旱傷の患あり、民産農余采樵又農器を作る」と記す。
飛郷の幸利は古代三谿郡の郡家所在地とみられている。また志幸八幡神社の西側一〇〇メートルの所にある丘には、天文年間(一五三二―五五)高杉村の杉山城主祝氏の家臣で、天文二二年毛利氏によって滅ぼされた新宮甲斐守の居城跡がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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