志方村(読み)しかたむら

日本歴史地名大系 「志方村」の解説

志方村
しかたむら

[現在地名]佐々町志方免(しかためん)

佐々村の西部に位置し、志方川が流れる。中世は当地の千人堂(せんにんどう)に館を構えた志加田氏がいたが、戦国末期に平戸松浦氏の勢力下に入ったという。江戸時代は佐々村の枝郷で、正保国絵図に「志方村」とあり、高九三石余。明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では佐々里(さざさと)村内に志方免、畑方帳抜書には志方古川(しかたふるかわ)免が記される。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では佐々村枝村として村名がみえ、高九三石余でシカタの訓を付す。旧高旧領取調帳では佐々里村内であろう。文久元年(一八六一)小浦(こうら)・志方で炭坑が開かれ、明治四年(一八七一)志方寺山(しかたてらやま)などで開坑されている(「借区開坑願」長崎図書館蔵)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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