志賀浦村(読み)しがうらむら

日本歴史地名大系 「志賀浦村」の解説

志賀浦村
しがうらむら

[現在地名]穴水町志(し)ヶ浦(うら)・緑(みどり)ヶ丘(おか)

七尾北湾に面したカマヤ鼻西沿岸にあり、西の志賀浦追分(しがうらおいわけ)は内浦街道に沿い、東は新崎(にんざき)村、南は根木(ねき)村。貞応三年(一二二四)一〇月一日の熊木庄立券文写(尾沢文書)に志賀浦とみえ、熊木(くまき)庄(現中島町)に属していた。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北(なんぼく)のうち「志かの浦」で棟役を負担する役屋は二四間とある。戦国後期頃には長氏の知行分であった(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)。

正保郷帳では高一九二石余、田方一一町一反余・畑方一町七反、新田高三二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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