日本歴史地名大系 「穴水町」の解説 穴水町あなみずちよう 石川県:金沢市金沢城下第五連区穴水町[現在地名]金沢市玉川町(たまがわちよう)・長町(ながまち)三丁目・長土塀(ながどへ)一丁目・芳斉(ほうさい)一丁目北は宗叔(そうちく)町、東は長町通(ながまちどおり)、南は長町、西は長土塀通(ながどへいどおり)。江戸時代は八家の一つ長氏の下屋敷地で、北側で中川(武部)下屋敷、南側では村井(主膳)上屋敷・下屋敷、東側は長氏上屋敷に接していた。城下三ヵ所にあった長氏の下屋敷地のうち最も大きく、上ノ家中とよばれおもに上層陪臣の宅地であった。明治二年(一八六九)長氏が中世能登穴水城(現穴水町)を居城としていたことに由来して町名がつけられ、一―五番丁に分れた。 穴水町あなみずまち 石川県:鳳至郡穴水町面積:一八三・一八平方キロ鳳至郡中央部に位置し、南は七尾北湾に面し、能登島(のとじま)町に対する。北東は能都(のと)町、北は輪島市、北西は門前(もんぜん)町、南西は富来(とぎ)町・中島(なかじま)町に接する。町域の七四パーセントが山林で占められ、田畑は一三パーセントにすぎない。中央西寄りを南北にJR七尾線が縦断し、穴水駅から東に第三セクターのと鉄道が延びている。東西に国道二四九号が通り、七尾線に沿って輪島市に向かう道とともに交通の幹線となっている。慶長九年(一六〇四)制定の十村組では、現町内の五四村は南北組・諸橋組に属した。 穴水町あなみずまち 2005年3月1日:鳳至郡穴水町が鳳珠郡穴水町となる⇒【穴水町】石川県:鳳至郡 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「穴水町」の意味・わかりやすい解説 穴水〔町〕あなみず 石川県北部,能登半島中央部,七尾湾北湾に臨む町。1903年町制。1908年島崎村,東保村の 2村を編入。1954年住吉村,兜村の 2村と合体。1955年諸橋村を編入。町名の由来は古代の駅名,中世以来の地名による。中心市街は穴水湾に面する良港を擁し,ブリ,イワシ,メバル,クロダイなどが漁獲され,湾内ではカキを養殖。米作を中心に芋,豆類,蔬菜を栽培,林業も行なわれる。中世には長谷部氏の小城下町で,穴水城址が残る。明千寺(みょうせんじ)にある明泉寺(みょうせんじ)には鎌倉時代後期の石造五重塔があり国の重要文化財に指定されている。南部の海岸一帯は能登半島国定公園に属する。海岸は釣り,ヨット遊びに適し,観光客が増加した。のと鉄道,国道249号線,能越自動車道,のと里山海道が通り,此木インターチェンジがある。面積 183.21km2(境界未定)。人口 7890(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by