改訂新版 世界大百科事典 「応源」の意味・わかりやすい解説 応源 (おうげん) 12世紀前半(平安後期)の絵仏師。生没年不詳。応元とも記す。1114年(永久2)鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の命をうけ円珍請来の《胎蔵図像》《胎蔵旧図様》を模写し,図像収集に協力した。源師時の《長秋記》によれば34年(長承3)法金剛院堂塔の荘厳(しようごん)に絵仏師として召され,35年(保延1)には鳥羽勝光明院御堂の造営に参加し,仏像彩色や柱絵の制作などの堂内装飾を担当し,源師時をはじめ当時の高い評価をうけた。執筆者:百橋 明穂 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「応源」の解説 応源 おうげん ?-? 平安時代後期の絵仏師。鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の命をうけ,円珍が唐(とう)(中国)でうつした「胎蔵旧図様」などを模写した。保延(ほうえん)元年(1135)鳥羽勝光明院御堂の堂内装飾を担当し,仏像彩色,柱絵などを手がけた。応元ともかく。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by