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円珍 えんちん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

円珍
えんちん

[生]弘仁5(814).2/3.15. 讃岐
[没]寛平3(891).10.29.
平安時代初期の僧。延暦寺第5世座主。天台宗寺門派の祖。俗姓和気氏。母は空海の姪。 15歳で叡山に登り,座主義真に師事。 20歳で官試に及第,菩薩戒を受ける。以後 12年間籠山修行。仁寿1 (851) 年内供奉十禅師。同3年入唐。以後5年の間中国各地で顕密両教などを学ぶ。天安2 (858) 年帰国。 441部 1000巻の経疏を伝えた。叡山山王院に住す。園城寺再興し,貞観5 (863) 年同寺に灌頂壇を設ける。同8年園城寺別当 (長吏) 。同 10年以後 23年の間天台座主。元慶7 (883) 年法眼和尚位。寛平2 (890) 年少僧都となる。円珍以後,第9世長意を除き第 13世尊意にいたる7代の座主は,ことごとく円珍の門下から出た。没後の延長5 (927) 年智証大師を追諡。彼の思想的特色は,円仁の理同事別の対法華大日経観をさらに円劣密勝にまで進めた点にある。著作には『伝教大師略伝』『行歴抄』『山王院在唐記』『法華論記』『授決集』『諸家教相同異略集』などがある。

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デジタル大辞泉の解説

えんちん〔ヱンチン〕【円珍】

[814~891]平安前期の天台宗の僧。讃岐(さぬき)の人。延暦寺の第5世座主(ざす)。寺門派の祖。義真に師事。入唐して多数の経疏(きょうしょ)を請来(しょうらい)し、天台密教(台密)を盛んにした。智証大師。著「法華集論記」など。

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百科事典マイペディアの解説

円珍【えんちん】

平安時代の僧。智証(ちしょう)大師。天台宗寺門(じもん)派の宗祖。俗姓和気(わけ)氏。讃岐(さぬき)の人。空海の姪(めい)の子。15歳で比叡(ひえい)山に登り,12年間修行,853年唐に渡る。
→関連項目赤不動安然園城寺黄不動五部心観山門派・寺門派聖護院台密天台山天台宗

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

円珍 えんちん

814-891 平安時代前期の僧。
弘仁(こうにん)5年生まれ。天台宗寺門派の祖。比叡(ひえい)山の義真に師事。仁寿(にんじゅ)3年唐(中国)にわたり,天台,密教などをまなぶ。天安2年多数の経典類をたずさえて帰国。園城寺を再興して貞観(じょうがん)8年別当,10年天台座主。台密の確立につとめた。母は空海の姪。寛平(かんぴょう)3年10月29日死去。78歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。俗姓は和気。字(あざな)は遠塵。諡号(しごう)は智証大師。著作に「法華論記」「授決集」「行歴抄」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

えんちん【円珍】

814‐891(弘仁5‐寛平3)
平安時代の天台宗の僧。延暦寺5代座主,寺門派の祖。智証大師という。讃岐国那珂郡に生まれる。俗姓は和気(わけ)氏,母は空海の姪。15歳のとき叔父の僧仁徳に伴われて比叡山に登り,義真の弟子となる。833年(天長10)得度受戒したが,この年,師の入滅にあう。義真の後継をめぐり,最澄の高弟と隙を生じ,義真の弟子円修らは山外に追われたが,円珍は比叡山にとどまり,籠山12年の修行に精進した。846年(承和13)推されて学頭となり,850年(嘉祥3)内供奉(ないぐぶ)十禅師に補された。

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大辞林 第三版の解説

えんちん【円珍】

814~891) 平安前・中期、天台宗寺門派の開祖。天台座主。讃岐の人。諡おくりなは智証大師、俗姓は和気氏。母は空海の姪という。853~858年唐で修学。帰朝後、延暦寺別院として園城寺おんじようじを再興。台密を完成させた。著「法華論記」「大日経指帰」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

円珍
えんちん
(814―891)

平安初期の天台宗の僧。俗姓は和気(わけ)氏。讃岐(さぬき)国(香川県)那珂(なか)郡の人。母は佐伯(さえき)氏で、空海(くうかい)の姪(めい)の子といわれる。15歳のとき比叡山(ひえいざん)に登り、延暦寺座主(えんりゃくじざす)の義真(ぎしん)に就いて天台を学び、20歳のとき、菩薩戒(ぼさつかい)を受ける。以後、12年間籠山(ろうざん)して修行を続け、延暦寺の学頭となった。853年(仁寿3)8月9日、唐の商船に便乗して入唐(にっとう)、福州(福建省)連江県に到着すると、まず開元寺に入った。さらに12月13日に天台山国清寺(こくせいじ)に入り、物外(もつがい)(786/813―885)から天台止観(しかん)を聴講して200余巻の天台の章疏(しょうしょ)(注釈書)を得た。またここで同朋の円載(えんさい)(?―877)とも会った。855年(大中9)5月、長安に着いて青龍寺の法全(はっせん)(生没年不詳)から真言密教を学び、翌856年6月には、ふたたび天台山に帰った。各地で高僧に学んだ円珍は、858年6月、商人の李延孝(りえんこう)(?―877)の船で帰途につき、多数の仏典、仏具を持参して22日、大宰府(だざいふ)に到着した。帰国後、859年(貞観1)近江(おうみ)(滋賀県)三井(みい)の園城寺(おんじょうじ)に入り、868年には安慧(あんね)(794―868)の後を継いで延暦寺座主となった。ついで園城寺を賜ると、ここを天台の別院として伝法灌頂(でんぽうかんじょう)の道場とし、その教勢を高めた。以来、延暦寺を山門というのに対して園城寺を寺門といい、円珍の系統が代々別当となった。のちには円珍門徒は延暦寺と分かれて寺門派を形成し、円珍はその派祖と仰がれた。927年(延長5)に醍醐(だいご)天皇から智証(ちしょう)大師の諡号(しごう)を受けた。円珍は、入唐によって天台、真言をはじめ倶舎(くしゃ)、因明(いんみょう)、悉曇(しったん)(梵語(ぼんご)学)などを学び、440余部1000巻の典籍をもたらしたが、天台宗興隆に尽くした功績は大きく、また台密(たいみつ)(天台宗の密教)の充実と完成に努め、多数の経軌図像(きょうきずぞう)を請来(しょうらい)したことが注目される。著作には、『大日経指帰(だいにちきょうしいき)』1巻、『講演法華儀(ほっけぎ)』2巻、『授決集(じゅけつしゅう)』2巻、『法華論記』10巻など多数がある。[池田魯參]

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367日誕生日大事典の解説

円珍 (えんちん)

生年月日:814年3月15日
平安時代前期の天台宗の僧
891年没

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世界大百科事典内の円珍の言及

【園城寺】より

…寺の東方に井泉があり,天智・天武・持統3帝の産湯を汲んだので三(御)井寺とよぶという。859年(貞観1),この地を訪れた智証大師円珍が,檀越大友都堵牟麿(つとむまろ)と住僧教待の委託をうけ,当寺を再興。まず唐院を建てて唐より持ち帰った経論を収蔵した。…

【行歴抄】より

円珍の入唐旅行日録《在唐巡礼記》(《行歴記》ともいう)の抄録。1巻。…

【五部心観】より

…図像本をくりながら諸尊の修法を視覚的に体得する観法書であるため,《五部心観》と称される。これは滋賀円城寺に蔵され,円珍が入唐求法(852)の際,師の青竜寺の法全(はつせん)から授与された手中本であり(表題註記,奥書による),巻末に描かれた肖像の梵語には〈此の法は阿闍梨善無畏三蔵の所与なり〉,紙背には〈此無畏和上真也〉とあって,これが善無畏にもとづくことを示している。この時代の遺品は少なく,図像ののびやかな張りのある描線は晩唐風で,絵画史的に貴重な作品である。…

【書】より

…空海と同時に入唐した最澄はやはり王羲之調ではあるが,爽快な運筆の名筆で空海と対照的である。 空海より約半世紀後の円珍の書状を見ると,細い墨線の筆触に柔らか味を増して,和様化が急激に進んだ書風である。また,嵯峨天皇より約1世紀を経た醍醐天皇には,《白氏文集》を大字で揮毫した巻物が遺存するが,草書の率意の書でまったく和風の線質となり,小野道風の《玉泉帖》に通ずるところが見え,和様書道の成立期にいたったことを物語っている。…

【声明】より

…良忍は1109年(天仁2)京都大原に来迎院を建立し,天台声明の中心は爾来大原に移る。なお853年(仁寿3)に入唐した円珍の系統は延暦寺から離れて園城(おんじよう)寺を中心として独立するが,声明も独自の発達を遂げ,大原を中心とする大原流声明に対して寺門(じもん)流声明の伝統が作られた。天台,真言両声明は体系的な音楽理論をもって発展し,奈良声明あるいは鎌倉以後の新仏教の声明に影響を及ぼした。…

【請来目録】より

…恵運(842‐847年在唐)は温州,五台山,長安に赴き220巻の経典(そのうち76巻は新請来)をもたらしている。円珍(853‐858年在唐)には長安,天台山で求得した772巻の経典,梵夾,法具などの〈国清寺求法目録〉,福州から台州の間に求得した経典,外書を記載した〈福州温州台州求得目録〉,福州開元寺で求得した156巻の経典,梵夾の目録,青竜寺で求得した経典115巻,曼荼羅,法具の目録で師法全の証明の加えられている〈青竜寺求法目録〉の4種のほか,これらを網羅して計1000巻,法具16種を記載した総目録の5通があり,いずれも原本が園城寺に伝えられる。宗叡(862‐865年在唐)も青竜寺法全から受法し,143巻の聖教,図像,舎利,法具のほかに暦書,木版の辞書等をその目録に記載し先人請来以外の新しいもののみを掲載したことを強調している。…

【天台宗】より

…9世紀の初めに,伝教大師最澄が入唐し,智顗より7代目の道邃と行満について宗旨をうけ,比叡山に延暦寺を創して日本天台をひらくが,最澄は,天台法華宗のみならず,達麿系の禅,円頓戒,密教という,同時代の中国仏教をあわせて,奈良仏教に対抗する新仏教運動の根拠としたため,日本天台は中国のそれとかなりちがったものとなる。とくに密教を重視する後継者によって,智証大師円珍を祖とする園城寺が独立し,天台密教の特色を発揮する一方,鎌倉時代になると浄土宗,禅宗,日蓮宗など,新仏教の独立をみるのは,いずれも日本天台の特色である。 智顗の仕事は,《法華経》を軸とする教相判釈(きようそうはんじやく)と,止観の体系を完成させたことにある。…

【留学】より

… 遣唐使が派遣されている期間には,留学生は遣唐使に従って渡唐したが,838年(承和5),最後の渡唐となった遣唐使に随行した円仁の後は,唐人の商船によって入唐する僧がたくさんあらわれた。円珍もその一人である。このころには,ひんぱんに商船が往来するようになったので,短期間に何回も渡唐した僧もいた。…

※「円珍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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