日本歴史地名大系 「忠兵衛作開墾碑」の解説 忠兵衛作開墾碑ちゆうべえさくかいこんひ 愛媛県:今治市桜井村忠兵衛作開墾碑[現在地名]今治市桜井釣瓶(つるべ)山(九一・七メートル)の西麓、国鉄予讃本線伊予桜井駅の裏の畑の中に自然石の碑が立っている。碑文に「開此新田主下村住人石丸忠兵衛尉吉久、寛永第十七庚辰天」とみえる。忠兵衛は朝倉下(あさくらしも)村(現越智郡朝倉村)の住人で先祖は周防の大内氏であるという。忠兵衛は寛永七年(一六三〇)から同九年にかけて朝倉下村野々瀬(ののせ)ヶ原(はら)に田畑一二町歩を開拓、また大規模な井堰を開削している。その後、同一一年に居を桜井(さくらい)・長沢(ながさわ)両村の境に移し、両村の境付近まで入り込んでいる海湾の干拓に着手、同一七年に田五町一反一畝二二歩、畑二町七反三畝六歩、高八三石七斗五升一合の新開を築いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報