日本歴史地名大系 「桜井村」の解説
桜井村
さくらいむら
当村は環濠集落であったが、中世以降の伊勢詣・初瀬(長谷寺)詣・三輪(大神神社)詣などの流行によって商業地域として発達し、一一合枡などの「桜井枡」が使用された。
文禄四年(一五九五)の太閤検地は旧桜井庄六〇町余と
文禄四年の和州十市郡桜井村御検地帳写(谷区有文書)の分析によれば人家のある部分は「堀の内」(環濠集落)に限られ、わずかに南で多武峯街道に沿って延びているが、中央の丁字路は市場の所在地で、のちに桜井が宿場町になると問屋場の位置となる。
桜井村
さくらいむら
糸島半島の北部中央に位置。「桜井三千石」と称された志摩郡最大の村。北は玄界灘に臨み、東には
桜井村
さくらいむら
- 愛媛県:今治市
- 桜井村
現今治市南部に位置する。東は
村名から推して、古代の桜井郷の地域に含まれる。現在の
貞和四年(一三四八)三月八日の地頭橘資義寺領田畠避状(国分寺文書)に「放進 伊与国桜井郷内国分寺并尼寺御領田畠事」とあることから、国分寺・国分尼寺ともに桜井郷内に所在していたことは明らかである。なお、旧法華寺敷地は、条里では青木里十二坪に比定されている。
「一遍聖絵」文永一一年(一二七四)二月八日のところに「同行三人あひ具して与州をいで給ふ(中略)、聖戒五六ケ日をくりたてまつりしに、同国桜井といふ所より同生を花開の暁に期し、再会を終焉の夕にかぎりたてまつりていとまを申侍き」とみえ、一遍が弟子の聖戒と桜井で別れを告げている。
桜井村
さくらいむら
- 愛知県:安城市
- 桜井村
北は
「和名抄」に記す桜井郷はこの地に比定され、
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
- 千葉県:木更津市
- 桜井村
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
- 大阪府:豊中市
- 桜井村
桜井谷にある
中世は
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
- 千葉県:銚子市
- 桜井村
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
桜井村
さくらいむら
- 栃木県:大田原市
- 桜井村
東部は丘陵地、西部は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報