日本歴史地名大系 「快庵屋敷」の解説 快庵屋敷かいあんやしき 東京都:港区旧芝区地区快庵屋敷[現在地名]港区新橋(しんばし)一丁目文久元年(一八六一)起立。幸橋(さいわいばし)御門外南西、外堀沿いに位置する拝領町屋敷。北は火除地、東は久保町(くぼちよう)原を隔てて二葉(ふたば)町があり、西は幸橋御門外御霊屋御掃除(さいわいばしごもんがいみたまやおそうじ)屋敷、南は通りを境に越後新発田藩溝口家上屋敷。延宝年間(一六七三―八一)頃には古くは兼房(けんぼう)町が置かれていたが(沿革図書)、寛政六年(一七九四)一月桜田火事とよばれる火災によりこの辺り一帯も類焼し、幸橋御門外から新シ橋(あたらしばし)御門外までの堀端にあった兼房町のほか、桜田備前(さくらだびぜん)町・同鍛冶(かじ)町・同和泉(いずみ)町・同伏見(ふしみ)町・同善右衛門(ぜんえもん)町が召上げられ、跡地は火除地となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報