怒縄田村(読み)ぬなわだむら

日本歴史地名大系 「怒縄田村」の解説

怒縄田村
ぬなわだむら

[現在地名]大牟田市宮崎(みやざき)

亀崎(かめざき)村の東、隈(くま)川上流域にある。南は豊持(とよもち)村。天文一九年(一五五〇)頃のものと推定される年月日欠の三池氏等知行坪付(田尻家文書/佐賀県史料集成七)には田尻氏知行の村付のうちに「のゝう田」六町がある。天正七年(一五七九)田尻鑑種が龍造寺氏に従うと、同年六月一日の龍造寺隆信・同鎮賢連署判物(同上)で「野々宇田」六町が鑑種領として与えられた。同一五年立花統虎(宗茂)領となり、文禄四年(一五九五)の知行方目録には怒縄田村とあり、高一四五石余。慶長二年(一五九七)の柳川領村高附帳(立花家文書)では怒縄田村は一六町九反余・米一八六石余、村柄は中とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む