亀崎(読み)かめざき

改訂新版 世界大百科事典 「亀崎」の意味・わかりやすい解説

亀崎 (かめざき)

尾張国(愛知県)知多郡,三河湾沿岸の漁港港町。古くからの漁港で,神崎(亀崎の古名)のエビで知られ,神領の神戸(かんべ)からエビとキスを献納したという。江戸時代には尾張藩からエビ漁の特権を与えられ,藩の御肴御用地となっている。尾張の江戸積酒造業元禄(1688-1704)ごろ知多半島の西浦から東浦に移って飛躍的発展を遂げ,1789年(寛政1)江戸積酒造家は亀崎に12軒あり,酒の積出港として栄えた。1822年(文政5)ごろにはほぼ回船10,いさば船大小80,漁船75艘,酒造家25戸を数え,60年(万延1)11月から1年間の下り酒高は4万1209樽に及ぶ。回船は酒のほか回米・木材などを積み出し,各地の回船も出入りした。明治に入り亀崎を起点として三河対岸航路,東浦航路が開かれた。海運業者は西洋型帆船や汽船を取り入れ,海運の近代化を図ったが,それは困難な道であった。1937年半田町,成岩(ならわ)町と合併し,半田市となった。
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百科事典マイペディア 「亀崎」の意味・わかりやすい解説

亀崎【かめざき】

尾張国知多郡,現愛知県半田市にあった,三河湾沿いの漁村湊町。古くは神崎と称されたという。1567年の《紹巴富士見道記》には〈亀崎といふ所へ網おろさせ,みるめかづかすべしとあれば行けるに〉などと記され,江戸時代にも《尾張名所図会》に〈当所は船着にして一千余家の漁村なり,尤繁昌富饒の地なれば,豪家も少なからず〉とある。海老漁が盛んで,1722年には尾張藩から幕府へ献上するための神前海老献納を命じられ,以後海老漁の特権を付与された。尾張藩の御用廻船も度々命じられて,廻米・材木・酒などの江戸輸送も行った。特に酒造業は元禄(1688年−1704年)以降飛躍的に発展し,1862年には酒造人21名・酒造米高2万石余を数え,1860年の江戸積酒は4万余樽に上った。明治以降は三河湾対岸への航路が開かれた。1937年半田市の一部となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀崎」の意味・わかりやすい解説

亀崎
かめざき

愛知県半田市北東部の地区。旧亀崎町。JR武豊(たけとよ)線亀崎駅があり、国道247号、366号が通じる。知多半島北部に位置する。丘上の神前(かみさき)神社は例年伊勢(いせ)・熱田(あつた)両神宮へエビを奉納し、例祭の潮干祭(5月上旬)の山車(だし)行事は国指定重要無形民俗文化財。一帯衣浦(きぬうら)臨海工業地域の一部。亀崎港にはヨットハーバーがある。

[伊藤郷平]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「亀崎」の意味・わかりやすい解説

亀崎
かめざき

愛知県南西部,半田市の北東部にある地区。旧町名。衣浦湾に面して対岸高浜への渡し場であるとともに,江戸廻船の停泊地および漁港として栄えた。江戸廻船と結びついて酒造業,木綿織物業が興ったが,現在は衣浦工業地域の一部で金属,機械,繊維,食料品などの工場もある。 JR武豊線が通り亀崎駅がある。

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