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大奥 おおおく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大奥
おおおく

江戸時代,江戸城中で将軍の妻および側室のいる居室を呼びならわしたもの。将軍の居室である中奥と上 (かみ) お鈴廊下をへだてて位置していた。上臈 (じょうろう) ,年寄,中年寄,御客会釈 (あしらい) ,中臈などの女性が奥女中と呼ばれて勤務し,将軍以外の男子の入室を禁じていたが,実権は年寄の握ることが多く,奥女中のなかでも将軍の子を生んだ場合は,御部屋様として別格の待遇を受けた。また大奥の部屋は,側室の居室である御休息の間のほか,切形の間,御化粧の間,御納戸,御清の間,御座の間,御小座敷,北の御部屋,奥御膳所,御対面所,宇治の間,呉服の間,溜の間などに分れていた。大奥は女性だけの世界であることから,保守的で権勢争いなどが絶えず (→絵島事件 ) ,また幕府の政治に与える影響も少くなかった。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

大奥

江戸城内にあった徳川将軍家の私的な生活の場で、将軍の子どもや正室、側室らが暮らしていた。3代将軍家光の乳母春日局の時代に組織的に整備され、多いときには約3000人がいたとも言われる。

(2012-04-09 朝日新聞 夕刊 心歴史)

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百科事典マイペディアの解説

大奥【おおおく】

江戸城内殿舎の奥向の称。江戸時代大身(たいしん)の武士の邸宅は家政処理や対外応接の場である〈表〉と当主の妻,子女が生活する〈奥〉とに区別されていたが,江戸城の奥向を他の大名と区別して大奥といった。
→関連項目江島事件お狂言師奥女中御庭番徳川家継留守居

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デジタル大辞泉プラスの解説

大奥

日本のテレビドラマ。放映はフジテレビ系列(2003年7月~9月)。全11回。脚本:浅野妙子ほか。出演:菅野美穂、浅野ゆう子、池脇千鶴、安達祐実ほか。時代劇

大奥

よしながふみによる漫画作品。男子のみがかかる疫病によって男子の数が極端に減ったために女性が権力を握り、男女が史実とは逆転した江戸時代を、幕府を中心に描いたSF時代劇。『MELODY』2004年8月号から連載開始。白泉社JETS COMICS既刊11巻。第13回(2009年)手塚治虫文化賞 マンガ大賞受賞、第56回(2010年度)小学館漫画賞 少女部門、第10回(2006年度)文化庁メディア芸術祭マンガ部門 優秀賞受賞。2010年と2012年に、金子文紀監督による実写映画が公開された。

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世界大百科事典 第2版の解説

おおおく【大奥】

江戸城内殿舎の奥向の称。江戸時代には,大名・旗本など大身の武家の邸宅では,当主を中心として家政処理や対外的応接などを処理する〈表〉と,当主の妻を中心に子女たち家族が生活する〈奥〉とが明確に区別されていた。将軍の居城たる江戸城の本丸西丸・二丸などの殿舎でも表と奥の区分があり,江戸城の奥向を他の大名などと区別してとくに〈大奥〉と称した。大奥は御殿向御広敷向長局(ながつぼね)向の3部分に分かれる。御殿向はその大奥の主人,すなわち本丸ならば御台所,西丸ならば大御台所もしくは将軍世子夫人,その子女たちの居住する場所,御広敷向は大奥管理事務所で,男の御広敷役人の勤務する場所,長局向は大奥に勤務する女中いわゆる大奥女中たちの住む宿舎である。

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大辞林 第三版の解説

おおおく【大奥】

江戸城の、将軍の夫人・側室・女中たちの居所。将軍以外は男子禁制であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大奥
おおおく

徳川将軍家の夫人の居住区。武家の夫人の居所を奥と汎称(はんしょう)する。大奥は徳川将軍家に限って用いられていた。江戸城本丸(ほんまる)、西の丸、二の丸に、それぞれ大奥とよばれる区画があり、いずれも各御殿の北側に設けられていたので「北御殿(きたのごてん)」とよばれていた。本丸の御殿の建坪は1万1373坪(約3万7530平方メートル)で、そのうち大奥は6318坪(約2万0850平方メートル)を占めていた(1845)が、1863年(文久3)の焼失後は再建されなかった。西の丸の大奥は758坪4合(約2500平方メートル)であった(1864)。
 本丸御殿は将軍夫妻の居所であるが、家政や政治向きの事務処理機関も含まれているので、儀式向きの部屋や、客間や事務所のある部分を「表(おもて)」、将軍の居間にあたる部分を「中奥(なかおく)」(「ちゅうおく」とも)、夫人の居間にあたる部分を「大奥」と区別していた。
 大奥の管理事務所として「御広敷(おひろしき)」が付属していて、そこには男の役人が勤務した。中奥と大奥との間は銅塀で仕切られており、1か所あるいは2か所の「御錠口(おじょうぐち)」が通じているだけである。そこを通って大奥に入れる男性は将軍だけであり、御広敷の役人も通れなかった。[進士慶幹]

職務と規模

大奥での諸事は、夜間の警備までもが女(おんな)奉公人で処理されていた。寛永(かんえい)(1624~1644)のころ、3代将軍徳川家光(いえみつ)の乳母(うば)春日局(かすがのつぼね)によって、大奥女中の職制が整えられたといわれている。家光が没したとき、3700余人の女中たちに暇(いとま)が出され、尼になった女中たちが100余人もあったといわれるから、その規模が察せられよう。家光以後、歴代の将軍は、公家(くげ)や親王家の娘を夫人としている(「御台所(みだいどころ)」「御台様(みだいさま)」という)ので、それに従って江戸に下ってきたお付きの女中たちが大奥に入り、京都風の生活様式が持ち込まれ、江戸幕府の大奥風が形成されていった。
 大奥の部屋は、御台所用の御休息の間(35畳)をはじめ、主要なものだけでも60余間(ま)あり、1間は2~5室をもって形成されていた。寝室用の切形の間(10畳)、将軍お成りの際の寝所蔦(つた)の間(15畳)、式日用としての御座(ござ)の間(上段30畳、下段20畳)、御小座敷(おこざしき)、御対面所、御化粧の間、御納戸(おなんど)、呉服の間、御清(おきよ)の間、さらに御膳所(ごぜんしょ)、溜(たまり)の間、御三(おさん)の間(飯炊き下女の詰めている部屋)などに分かれる。
 女中には御台所付きと将軍付きとがあるが、役職名や人員はほぼ同じである。公家出身の3人の上(じょうろう)をはじめ、7人の御年寄、御客会釈(おきゃくあしらい)、中年寄、御中、御小姓(おこしょう)、御錠口詰など27階層に分かれ、20位の御切手(おきって)以上が御目通(おめどお)りに出られる役向き(御目見(おめみえ)以上)で、それ以下は御目見以下の役であった。大奥の奉公は一生奉公をたてまえとしたが、御小姓以下は願いによって御暇(おいとま)を与えられた。旗本の娘が大奥奉公にあがるのが本来であるが、庶民の娘でも、旗本を仮親にし、出入り商人などの手づると御中以上の人たちの斡旋(あっせん)で奉公に出て、それが一つの履歴となった。「一引き、二運、三器量」というように、奉公の女中たちは御中以上のだれかを世話親(せわおや)とし、その引きによって昇進の度合いが異なった。御台所をはじめ側室(そくしつ)方は、自分のほうから差し出した女中を将軍が寵愛(ちょうあい)することによって、自派の勢力を大きくしようと、京都をはじめ各所から美女、才媛(さいえん)を連れてくるようなことが行われていた。[進士慶幹]

政治的側面

大奥の経費は莫大(ばくだい)なもので、江戸末期には、女中方の給料を別にして、年間約2万両(金1両は約6~7万円。1984年での換算)といわれている。それだけに大奥は隠然たる勢力として、「表」の政治向き、人事などにも陰から容喙(ようかい)し、大きな影響を与えていた。7代将軍徳川家継(いえつぐ)のときに、大奥に表の粛正の手が入り、御年寄の絵島(えじま)を中心とする疑獄事件が起き、1500人にも上る連座者を出しているのは、幼将軍の大奥という特殊な条件のもとに行われた表の攻勢といえよう。幕政立て直しを図り、財政の健全化や風紀の粛正などを指標とした、寛政(かんせい)の改革の松平定信(まつだいらさだのぶ)や、天保(てんぽう)の改革の水野忠邦(みずのただくに)が、その改革の実を十分にあげえなかったのも、大奥の強い反対にあったためであるという。また、女性ばかりの集団という点から、風紀上の乱れも多かった。[進士慶幹]
『永島今四郎・太田贇雄著『千代田城大奥』(1892・林書房/改題復刻版『江戸城大奥』1968・新人物往来社) ▽池田晃淵著『大奥の女中』(1894・冨山房)』

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世界大百科事典内の大奥の言及

【江戸城】より

…本丸の主要な建物は天守閣(1657年以後なし)と本丸御殿である。本丸御殿はその用途により表,中奥,大奥に3区分されていた。表は謁見などの儀式を行う広間と,日常諸役人が詰めて執務する諸座敷からなり,幕府の中央政庁にあたる。…

【御広敷番】より

…江戸幕府の職名。大奥の管理・警衛にあたる御広敷向の役人のうち,警衛を主とした役人。責任者は番頭で留守居支配,200石高,役料200俵,人数は9人,交代制で昼夜詰切りで勤務した。…

【住居】より

…また,伝承された住宅建築の数も多くなり,具体的な状態がよくわかるようになる。当時,支配体制を確立した上層武士階級の住居には,儀式や政務など政治的機能が持ちこまれ,その機能に対応して,表(儀式的空間),中奥(政務空間),大奥(私的空間)の空間が統合される形になった。表の建築は,前代に完成した書院造の殿舎形式が重んじられ,多数の人々と対面できる大広間を中心に,2~3の書院を連ねる形式を採っている。…

【上﨟】より

…元来は身分の高い女官の称であるが,江戸時代には幕府の大奥女中の職名の一つ。上﨟年寄,大上﨟,小上﨟などがあった。…

【徳川家斉】より

…とくに1837年(天保8)家斉が将軍職を次男家慶に譲っても引き続き幕政の実権を握り,いわゆる大御所政治を実施した時期がもっともはなはだしかった。家斉の大奥生活を中心とした華美・驕奢に象徴されるような側近による幕政の私物化は,幕府財政の行詰りをいっそう深刻化した。貨幣悪鋳などによる安易な切抜け策は金融市場の拡大に資するところがあったが,他方,商業高利貸資本と政治との癒着に拍車を加えた。…

【用人】より

…三卿の家政組織もほぼ大名家に類似し,用人が設けられて家政庶務を担当したが,その多くは幕臣の出向であった。幕府には単に用人という職名・職種はないが,側(そば)用人は将軍側近の最上首として政務に関する上申・令達に当たり,広敷(ひろしき)用人(将軍に正夫人のあるときは御台所(みだいどころ)用人)は大奥の役人の長として大奥の事務を統轄したほか,大名家へ嫁した将軍の娘の世話をする姫君用人,将軍の側室の世話をした女中用人などがあった。【辻 達也】。…

※「大奥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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