愛洲氏(読み)あいすうじ

改訂新版 世界大百科事典 「愛洲氏」の意味・わかりやすい解説

愛洲氏 (あいすうじ)

南北朝~戦国期の伊勢の武家。愛曾氏,五箇所(五箇)氏とも称し,現,三重県度会郡南伊勢町の旧南勢町五ヶ所浦を本拠とした。同地に城・館址がある。出自不明。紀伊国日高郡南部荘を本拠とした愛洲氏もいるが,両者の系譜関係は不明。1339年(延元4・暦応2)宗実が朝明郡萱生御厨を南朝より与えられたほか,同年の〈潮田幹景軍忠状〉に守護愛洲太郎左衛門尉,《太平記》には愛曾伊勢守の名がみえる。南北朝から室町初期にかけて丹河・苦木(にがき)御厨,大国荘,法楽寺領などの押領,醍醐寺領曾禰荘の預所職を請け負うなど活発な動きをしている。15世紀中葉には北畠氏家臣となり度会郡大紀町の旧大宮町から玉城町へかけての宮川沿岸を勢力圏とした。1495年(明応4)北畠教具と対立した重臣の中に五ヶ所忠置の名がみえる。その後1509年(永正6),11年大湊・山田へ発向する動きをみせ,13年には伊勢守護となるなど,北畠家臣として活動しているが,75年(天正3)北畠氏に滅ぼされた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の愛洲氏の言及

【南勢[町]】より

…町内西部を伊勢路川,東部を五ヶ所川が流れ,ともに五ヶ所湾に注ぐ。古くは伊勢神宮領の御園(みその)や御厨(みくりや)が置かれたところで,中世には,五ヶ所城などに拠った愛洲(あいす)氏が一帯を支配したが,北畠氏に敗れ滅亡した。五ヶ所城跡には愛洲氏の居館跡や墓がある。…

※「愛洲氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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