愛鷹牧(読み)あしたかのまき

日本歴史地名大系 「愛鷹牧」の解説

愛鷹牧
あしたかのまき

[現在地名]沼津市西野にしの宮本みやもと足高あしたか、駿東郡長泉ながいずみ東野ひがしの

江戸時代後期、幕府愛鷹山に開設・運営した馬牧。古代の愛鷹山には岡野おかの(「延喜式」兵部省)などの官牧が置かれたと考えられている。しかし官牧は中世になると庄園化し(大岡庄)、牧の施設や機能はなくなっていった。しかし野生の馬は生き続け、愛鷹明神(現桃沢神社)の神主興津家がそれを保護して近世に至った。江戸幕府がこの愛鷹山の野馬に目をつけ、最初にここに牧を設置しようとしたのは享保期(一七一六―三六)であったが、この時は興津氏農民の反対もあって設置に至らなかった。しかし寛政八年(一七九六)岩本石見守正倫が野馬掛に就任すると、自ら現地に乗込み、反対する興津氏や農民を退けて牧の開設を断行した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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