大岡庄(読み)おおおかのしよう

日本歴史地名大系 「大岡庄」の解説

大岡庄
おおおかのしよう

現在の沼津市街地から長泉ながいずみ町・裾野市南部にかけてあった庄園。古代の岡野おかの馬牧(「延喜式」兵部省)後身と考えられ、大岡牧ともみえる。庄域は愛鷹あしたか山の南東麓、黄瀬きせ川の西岸にあたり、現沼津市大岡・岡宮おかのみや、現裾野市桃園ももぞの長泉長窪ながくぼ(長久保)地区などが含まれる。ひら町の日枝神社が所蔵する山王霊験絵巻(弘安一一年一月二二日の奥書がある)には関白藤原師通の母が、康和元年(一〇九九)に早世した師通のことを嘆いて近江日吉社に供養を願い、その費用として「駿川国大岡庄」を寄進したとの記述がある。しかし確かな史料に庄名がみえる早い例は寿永三年(一一八四)四月五日の源頼朝安堵状案(久我文書)で、平家没官領のうち平頼盛に返付された庄園の一つとして「大岡庄駿河」があげられている。同安堵状には後白河院より預けられたとあり、本家職を後白河院がもち、頼盛が領家職をもっていたと考えられる。頼盛が当庄を領した経緯について「愚管抄」には宗親(牧三郎宗親、北条時政の後妻牧の方の父)が頼盛に長年仕え、「駿河国ノ大岡ノ牧」を寄進したと記される。「吾妻鏡」文治四年(一一八八)六月四日条によると「大岡牧」は鳥羽上皇の皇女八条院領で、北条時政が地頭であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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