日本歴史地名大系 「慶賀野村」の解説 慶賀野村けがのむら 和歌山県:橋本市慶賀野村[現在地名]橋本市慶賀野・城山台(しろやまだい)橋谷(はしたに)村の東北、紀見(きみ)峠の南の丘陵地にあり、南北に高野街道が通る。相賀庄惣社大明神神事帳写(相賀大神社文書)所収の天授三年(一三七七)頃の文書によれば、相賀大(おうがだい)神社八月放生会に当村は米五升を納めている。慶長検地高目録に「慶賀村」とあり、村高一五〇石余。上組に属し、慶安四年(一六五一)の上組在々田畠小物成改帳控(土屋家文書)では家数二六(本役一〇など)、人数一〇九、馬二、牛五、小物成は紙木二三束、茶一斤。寛文一三年(一六七三)の慶賀野と矢蔵脇等五ケ村山出入証文(矢倉脇区有文書)によると、矢倉脇(やぐらわき)村と柱本(はしらもと)村にある山の入会について慶賀野村と柱本・矢倉脇・橋谷・辻(つじ)・小原田(おはらた)五ヵ村が、郡奉行の立会いで入会の場所を取決めている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by