憚関(読み)はばかりのせき

日本歴史地名大系 「憚関」の解説

憚関
はばかりのせき

歌名所。「五代集歌枕」「八雲御抄」は陸奥でとる。「観蹟聞老志」は郡名不詳とするが、「柴田郡誌」は沼辺ぬまべ(現村田町)の項で、韮神にらがみ山下の国道中にかつて高さ一丈五尺・幅七尺の後世の関碑があったが、明治九年(一八七六)の道路改修時に破壊されたとし、また当関は藤原秀衡の設けたものとする説がある。「宮城県史」では船迫ふなばさま関所せきしよの、船岡ふなおか船迫を結ぶ道と旧奥州街道との交点付近にあったと記す。「枕草子」(関は)には「ただごえの関は、はばかりの関と、たとしへなくこそおぼゆれ」とみえ、「後拾遺集藤原通俊による序には「みづからのつたなきことのはもたびたびのおほせそむきがたくして、はばかりのせきのはばかりながらところどころのせたることあり」とあって、言葉の面白さから多くの歌などに詠み込まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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