柴田郡(読み)しばたぐん

日本歴史地名大系 「柴田郡」の解説

柴田郡
しばたぐん

面積:四二六・二六平方キロ
柴田しばた町・大河原おおがわら町・村田むらた町・川崎かわさき

県南部に位置し、郡域は東西に長い。西部は蔵王連峰の北端、名号みようごう(一四九〇・九メートル)雁戸がんど(一四八四・六メートル)笹谷ささや峠と連なる分水嶺で山形県上山かみのやま市・山形市と接する。北は名取郡秋保あきう町・仙台市、南は刈田かつた郡蔵王町・白石しろいし市・角田かくだ市、東は名取市・岩沼市、東端で亘理わたり郡亘理町にわずかに接する。南東端の郡境を阿武隈川が北流、南域を東流する白石川が合流する。両川、およびあら川などその支流沿いには肥沃な沖積平野が開けるが、他は丘陵・山地が大部分を占める。北域は名取川水系に属し、きた川・太郎たろう川・まえ川は合して碁石ごいし川となり、東流して仙台市域で名取川に合する。山間部は多雪地帯であるが、平野部の気候は温暖で、県内でもっとも積雪の少ない地域に数えられる。白石川沿いの東西路、北川沿いに西へ進み笹谷峠を越える東西路は古くから利用され、現在白石川沿いに国道四号・JR東北本線が、笹谷峠越を国道二八六号が通る。

「続日本紀」養老五年(七二一)一〇月一四日条に「柴田郡」のうち二郷を分ち刈田郡を置いたとみえるのが史料初見で、当郡の設置はさらにさかのぼると思われる。「和名抄」東急本郡部は「之波太」、「拾芥抄」は「シハタ」と訓ずる。「吾妻鏡」では「芝田郡」とみえ(文治五年八月一〇日条など)、同書では人名・館名などにも芝田をあてる。

〔原始〕

阿武隈川・白石川およびその支流域で、北の高館たかだて丘陵から掌状に延びた丘陵突端と碁石川流域の台地上および台地麓に遺跡が多く分布する。縄文遺跡は高館丘陵から延びる丘陵上に多い。南東部の柴田町域は県南ではとくに豊富で、早期・前期の金谷かなや中居なかい深町ふかまち館前たてまえ貝塚や松崎まつざき(槻木)上川名かみかわな貝塚のような編年基準貝塚がある。ヤマトシジミが中心でハマグリハイガイ、カキなどの海産貝もみられ、海進による古槻木つきのき湾の形成と海退の様相がうかがえる。碁石川流域川崎町下窪したくぼ遺跡では微隆起線文土器を含む早期・前期の遺物、同町中沢なかざわ湯坪ゆつぼ遺跡から中期の複式炉をもつ竪穴住居跡群、村田町東足立ひがしあしだて遺跡から後期の石囲炉の住居跡群が検出されている。弥生遺跡も同じく白石川左岸の丘陵台地上に多く、郡中央村田町の新川流域、西側右岸の沼辺ぬまべ関場せきば地区をはじめ、村田盆地周辺に集中する。また川崎町南端の標高三〇〇メートルに近い高山官林たかやまかんりん遺跡は、弥生期としては特殊な高地性の性格も考えられる。高塚古墳も村田盆地周辺に密集して、弥生期との関連が考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報