コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

藤原通俊 ふじわらのみちとし

7件 の用語解説(藤原通俊の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原通俊
ふじわらのみちとし

[生]永承2(1047)
[没]承徳3(1099).8.16.
平安時代中期の歌人。経平の子。従二位権中納言白河天皇に寵愛され,『後拾遺和歌集』の撰者となり,承保2 (1075) 年,承暦2 (78) 年の『内裏歌合』など多数の歌合に出詠,判者となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐みちとし〔ふぢはら‐〕【藤原通俊】

[1047~1099]平安中・後期の歌人。白河天皇の命により、「後拾遺集」を撰進。歌は「後拾遺集」などにみえる。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原通俊 ふじわらの-みちとし

1047-1099 平安時代後期の公卿(くぎょう),歌人。
永承2年生まれ。大宰大弐(だざいのだいに)藤原経平の次男。母は高階成順(なりのぶ)の娘。白河天皇の近臣として活躍。応徳元年(1084)参議兼右大弁。のち権(ごんの)中納言,従二位。礼部納言とよばれる。小野宮流の有職(ゆうそく)家。歌人としての才もあり,「後拾遺和歌集」を撰進した。承徳(じょうとく)3年8月16日死去。53歳。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原通俊

没年:康和1.8.16(1099.9.3)
生年:永承2(1047)
平安末期の公卿,歌人。大宰大弐藤原経平と少納言藤原家業の娘の子とされるが,実母は筑前守高階成順の娘。蔵人頭・右大弁を経て参議となり,従二位権中納言・治部卿に至る。姉が藤原実季の妻となり鳥羽天皇の母藤原苡子を生み,妹が白河天皇の典侍となり覚行法親王を生むなどの縁で,白河・堀河両朝で活躍し,大江匡房と並ぶ名臣と称された。兄通宗ともども歌才に恵まれ,白河院歌壇の中心的メンバーであった。承保2(1075)年に白河天皇より勅撰集編纂の命を受け,応徳3(1086)年に『後拾遺和歌集』を選進した。<参考文献>井上宗雄『平安後期歌人伝の研究』

(渡辺晴美)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのみちとし【藤原通俊】

1047‐99(永承2‐康和1)
平安後期の廷臣,歌人。大宰大弐経平の子。従二位権中納言に至る。1086年(応徳3)白河天皇の勅命により《後拾遺和歌集》を撰集して奏覧した。当時の歌界に重きをなした源経信,大江匡房をさしおいての撰者任命は,天皇の近臣ゆえのにおいもあって非難を浴び,源経信《難後拾遺》によって通俊の撰集は低く評価された。経信への答えは《後拾遺問答》にうかがわれるが,通俊の立場は機知的なおもしろさを志向する新風の主張にあって,経信の求める格調の高さと異なるものであった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ふじわらのみちとし【藤原通俊】

1047~1099) 平安後期の歌人。従二位中納言・治部卿。白河天皇に重用され、後拾遺和歌集の撰者。同集以下の勅撰集に二七首入集。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原通俊
ふじわらのみちとし
(1047―1099)

平安後期の歌人。小野宮(おののみや)流の経平(つねひら)の子。実母は高階(たかしな)成順と伊勢大輔(いせのたいふ)との女(むすめ)であるともいう。父は受領(ずりょう)で経済力があり、その地位は兄通宗(みちむね)が継ぎ、通俊は、受領階層が時を得た趨勢(すうせい)に乗じて白河院に信任され、近臣として活躍し、昇進して従(じゅ)三位参議右大弁に至った。1075年(承保2)勅撰(ちょくせん)集の撰者を命ぜられ、86年(応徳3)『後拾遺(ごしゅうい)集』を撰進した。「ひとへにをかしき風体」を基調としたこの集は、歌壇に多くの論議を呼び起こした。『後拾遺集』完成への過程で源経信(つねのぶ)の意見を問うた『後拾遺問答』がある。87年に集を小改訂し、目録、序を作成。この後は多くの公事(くじ)に奉仕、能吏としての評価が高かった。有職(ゆうそく)故実に詳しく、漢詩文に優れ、大江匡房(おおえのまさふさ)と並称された。和歌は承保(じょうほう)2年(1075)、承暦(じょうりゃく)2年(1078)以下の歌合、『後拾遺集』以下の勅撰集にみえる。趣向や表現に新しさが感じられるが、理知的な傾向の歌が多い。歌論は「通宗朝臣(あそんの)女子達歌合(むすめたちのうたあわせ)」の判詞(はんし)にみえ、「歌めく」「めづらし」を重んじている。承徳(じょうとく)3年8月16日没。[井上宗雄]
 あなじ吹く瀬戸(せと)の潮合(しほあひ)に舟出(ふなで)してはやくぞ過ぐる佐屋形(さやかた)山を
『井上宗雄著『平安後期歌人伝の研究』(1978・笠間書院)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の藤原通俊の言及

【後拾遺和歌集】より

…《後拾遺集》とも呼ぶ。撰者は藤原通俊(みちとし)。20巻。…

※「藤原通俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

藤原通俊の関連キーワード堀河康暁大宰少弐大宰大弐藤原実定橘徳子日向通良藤原重家(2)藤原親実(1)藤原長実藤原長房(1)

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone