日本歴史地名大系 「成塚村」の解説 成塚村なりづかむら 群馬県:太田市成塚村[現在地名]太田市成塚寺井(てらい)村の北東、大間々(おおまま)扇状地の東南端部に位置し、東部を岡登(おかのぼり)用水が南東流する。北は菅塩(すがしお)村、東は強戸(ごうど)村。新田庄成塚郷の遺称地。寛文郷帳では田方五五三石余・畑方八九石余、旗本小野領。文化六年(一八〇九)には旱損で、天保七年(一八三六)にはまれなる霖雨続きにより、それぞれ田畑年貢の御用捨を願出ている(文化六年「御用捨願」柳文書ほか)。近世後期の御改革組合村高帳では旗本内藤領などの二給、ほかに寄合(よりあい)村(現新田郡藪塚本町)と思われる幕府領八五石余を含む。 成塚村なりづかむら 埼玉県:深谷市成塚村[現在地名]深谷市成塚利根川右岸の沖積低地に位置し、南縁を小山(こやま)川が東流する。東・西・北は新戒(しんがい)村、南は上敷免(じようしきめん)村と幡羅(はら)郡新井(あらい)村。深谷領に所属(風土記稿)。田園簿では日損場と注記され、高三〇四石余はすべて畑、旗本稲垣・遠山の二家の相給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by