成沢城跡(読み)なりさわじようあと

日本歴史地名大系 「成沢城跡」の解説

成沢城跡
なりさわじようあと

[現在地名]山形市蔵王成沢

成沢集落の東方、標高一九九メートル、比高四九メートルの通称たて山に築かれた連郭式の山城。鳴沢館とも称する。規模は東西八一メートル・南北三一メートル、総曲輪一一八〇メートルであったといわれる。永徳三年(一三八三)最上直家の六男義兼が川西岸近くの泉出いでに築城し(渡辺文書)、泉出殿・成沢殿と称した(光明寺本最上系図)館山に移ったのは二年後で、城内へ沢内さわうち地蔵堂付近から樋により引水したと伝え、樋下とよした地名が残る。義兼は成沢氏を称し、成沢・山田やまだ飯田いいだ松原まつばらなど六ヵ村五千石を領有したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む