朝日日本歴史人物事典 「成田正右衛門」の解説
成田正右衛門
生年:享和2(1802)
幕末の洋式砲術家。薩摩(鹿児島)藩士。諱は正之。初め鳥居平七と称して荻野流砲術を学んだが,天保9(1838)年藩命を受けて兄平八と共に長崎に赴き,高島秋帆に就いて洋式砲術を修めた。帰藩後兄平八が病没したため家督を継ぎ,藩の洋式砲術の師範となる。天保14年高島秋帆の疑獄事件のときかかわりをおもんばかり,成田正右衛門と改名。弘化3(1846)年,軍役掛となり砲術館において洋式兵学を教授するほか,野戦砲および要塞砲の鋳造,火薬,地雷,水雷の製造など薩摩藩の洋式砲術導入に尽力した。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報