近世和流砲術の一流派。流祖は荻野六兵衛安重(やすしげ)(1613―90)。安重は初め父彦左衛門(ひこざえもん)に種子島(たねがしま)の砲術を学び、早打乱玉(はやうちみだれだま)という技を創案して、遠州浜松の本多豊後守(ぶんごのかみ)に仕え、300石を給された。1644年(正保1)32歳のとき、諸流の研究を志して本多家を去り、各地を歴遊すること十数年、正木流など12の流儀の奥義を究め、弟小左衛門正辰(まさとき)の協力を得て、これを集大成して荻野流を編み出したという。1667年(寛文7)55歳、岡山の池田光政(みつまさ)に招かれ、のち播州(ばんしゅう)明石(あかし)の松平若狭守(わかさのかみ)に仕え、同地に没した。その子六兵衛照清(てるきよ)が父の業を継いだが、ゆえあって松平家を辞し、大坂の玉造(たまつくり)に移り住んで、ここに私塾を開いた。1747年(延享4)照清の没後、備中(びっちゅう)足守(あしもり)(岡山県)の藩士上田惣左衛門の次男代二郎が後を継ぎ、六兵衛照良(てるなが)と称した。この門流は以上のほか膳所(ぜぜ)藩、盛岡藩、秋田藩など全国に広がりをみせ、信州高遠(たかとお)の坂本天山(荻野流増補新術、天山流の祖)や幕末に活躍した高島秋帆(しゅうはん)など著名な砲術家を出している。
[渡邉一郎]
『所荘吉編『日本武道大系 第5巻 砲術』(1982・同朋舎出版)』
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