日本歴史地名大系 「我峰村」の解説 我峰村わがみねむら 群馬県:高崎市我峰村[現在地名]高崎市我峰町東南流する烏(からす)川の左岸にあり、北は菊地(きくじ)村・西新波(にしあらなみ)村、東は下小塙(しもこばな)村。吾嶺村(天保郷帳)とも記される。字棗原(なつめはら)・当貝戸(とうかいと)で天仁元年(一一〇八)の浅間山噴火による降下軽石層に覆われた水田・畑、平安時代の住居などが検出された。群馬郡に属し、元和五年(一六一九)安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)では西郷に村名がみえる(高崎藩領)。高二六五石余、田方一七町九反余・畑方七町八反余。同藩領についての明治二年(一八六九)家数人数取調帳(小島文書)によると天明年中(一七八一―八九)の家数五四・人数二一〇。明治一〇年頃の家数四四、社四(八幡・諏訪・神明・稲荷)、天台宗長野山満願(まんがん)寺があり、人数一九七、牡馬二〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by