改訂新版 世界大百科事典 「長野氏」の意味・わかりやすい解説
長野氏 (ながのうじ)
南北朝・戦国期の伊勢国の国人。室町幕府奉公衆。本拠安芸(あげ)郡美里村には長野城址がある。工藤祐経を祖とすると伝えるが不詳。伊勢下向の時期・人物も不詳であるが,1336年(延元1・建武3)には伊勢国の住人長野工藤三郎左衛門尉の名が《梅松論》に見える。《太平記》に長野ヶ蠅払一揆とあり,80年(天授6・康暦2)には南朝方として土岐氏と戦っている。1428年(正長1)の北畠満雅挙兵には幕府軍として戦い,北畠氏旧領壱志郡,関氏跡を与えられたが,44年(文安1)関氏跡をめぐって関氏と対立,以降1世紀余,北畠・関氏と対立抗争を繰り返した。文明年間(1469-87)政高のときに,最も動きが活発で,北・中勢地方にたびたび出兵しているが,1511年(永正8)には桑名を侵略し,36-39年(天文5-8)にも同地を支配した。しかし61年(永禄4)には北畠氏に下り,68年には織田信長に下り,信長の弟信包(のぶかね)を養子にむかえ,その支配下に入った。
執筆者:稲本 紀昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報