朝日日本歴史人物事典 「戒光」の解説
戒光
鎌倉初期の尼。承久の乱(1221)で公家方首謀者のひとりとされた中御門宗行の妻。夫が駿河国(静岡県)で刑死したのち,京都の栂尾高山寺の明恵上人のもとに通い,主として『華厳経』に基づく教えを受けて出家。貞応2(1223)年西園寺公経の経済的援助を得て,山城(京都府)梅ケ畑に善妙寺を建立して入寺した。この寺に同時に居住した尼は少なくとも8人おり,いずれも夫や子が承久の乱で京方に加担したために,身寄りを失った女性ばかりであった。戒光は彼女らの指導的存在として,亡き夫らの菩提を弔いつつ仏道の修行に励んだ。貞永1(1232)年に写した『華厳経』の一部が,今日『尼経』の名で呼ばれて高山寺に伝来する。<参考文献>高信選『高山寺縁起』,柳原信充『柳庵題跋備考』,『高山寺経蔵典籍文書目録』第1巻,田中久夫『明恵』
(牛山佳幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報