日本大百科全書(ニッポニカ) 「戴平万」の意味・わかりやすい解説
戴平万
たいへいまん / タイピンワン
(?―1945)
中国の小説家。広東(カントン)省出身。四・一二クーデター後一時タイに逃れ、1928年上海(シャンハイ)で洪霊菲(こうれいひ)、林伯修(りんはくしゅう)らと我們(がもん)社を結成後、太陽社と合併。『海風週報』『拓荒者』などに小説を発表。『小豊』『激怒』『疑惑』など革命期の児童を描いた作品や『陸阿六』『村の朝』など農民闘争を描いたものに佳作が多く、『前夜』など知識青年を描いた作は浪漫(ろうまん)にすぎる。抗戦初期2、3の論を発表したが、40年ごろから江蘇(こうそ)省中部地区でもっぱら政治工作に携わり、45年初め川で溺死(できし)、自殺といわれる。
[佐治俊彦]