手城村
てしろむら
[現在地名]福山市手城町・南手城町
福山城下町の北を限る蔵王山塊の支丘が福山湾に突出して、引野村を構成し、東を大門湾に限られ、古代から海岸集落が形成されていたと考えられている。千間土手の沖が寛文六年(一六六六)さらに埋立てられ、手城新涯として造成された。この造成について深津村六郎兵衛筆記(「備陽六郡志」所引)に「寛文六年丙午五月八日に新涯に御取懸り、同十月朔日汐止成就仕、延宝元年癸丑初而御検地有之、畝高百弐拾六丁九反弐畝三歩、石高八百八拾八石四斗四升七合ニ御極」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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