日本歴史地名大系 「天神山城跡」の解説
天神山城跡
てんじんやまじようあと
寛文大図(倉田八幡宮蔵)により近世初期の様子をみると、当城は西を湖山池、北を東流する湖山川で画され、東と南にそれぞれ南北・東西に直線状をなす水濠が設けられ、池・川の水が導入されていた。東側の濠から二本の水路が天神山方向に延びている。東の濠が湖山川と合する地点のやや東からも南進する水濠があり、卯山北東で南東に方向を転じ緩やかな曲線を描いて再び南進、同山南東でほぼ直角に西に向きを変え、同山南西で北西に曲折して湖山池に通じている。外濠から卯山に向かっても水路が延びており、「舟入」と注記されている。卯山北東に外濠に架かる「九相の橋」が描かれ、真東に直進して
天神山城跡
てんじんやまじようあと
天神山城跡
てんじんやまじようあと
北を
天神山城跡
てんじんやまじようあと
井上氏は信濃
天神山城跡
てんじんさんじようあと
天神山城跡
てんじんやまじようあと
天神山城跡
てんじんやまじようあと
天神山城跡
てんじんやまじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報