日本歴史地名大系 「手石村」の解説 手石村ていしむら 静岡県:賀茂郡南伊豆町手石村[現在地名]南伊豆町手石現町域の東端部、青野(あおの)川河口に位置し、手石湊に臨む。南浦(みなみうら)路が通る。手石・湊(みなと)・青市(あおいち)三村はもとは手石郷に含まれていたが、万治二年(一六五九)に分村した(増訂豆州志稿)。天平八年(七三六)一〇月の平城京跡出土木簡には「賀茂郡色日郷鯉名里」とみえ(「平城宮木簡概報」二二―二七頁)、鯉名(こいな)里は小字の小稲里条(こいなさとじよう)・小稲坂下(こいなさかした)に比定される。治承四年(一一八〇)一〇月一九日、伊東祐親は平家方に味方するため「鯉名泊」を出航しようとしたところを天野遠景に捕らえられた(吾妻鏡)。文治元年(一一八五)三月一二日、源頼朝は平氏追討のため鯉名などに係留中の兵船三二艘に、兵粮米を載せ出港することを命じた(同書)。鎌倉時代の「閑谷集」に収める歌に「ていし」が詠じられ、詞書に「みなみうらに、ていし」とあるので、当地にあたると考えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by