打間木村(読み)うちまぎむら

日本歴史地名大系 「打間木村」の解説

打間木村
うちまぎむら

[現在地名]平塚市豊田打間木とよだうちまぎ東豊田ひがしとよだ

東方をたま(現渋田川)西方(現新川の排水路)が流れ、東は新土しんど村、西は小峯こみね村、南は豊田本郷とよだほんごう・小峯・宮下みやした平等寺びようどうじ四ヵ村入会地、北は下島しもじま村に接する。正保国絵図に「打間木」とある。近世は初め幕府直轄領、寛永一〇年(一六三三)旗本服部・石川領の二給。享保一八年(一七三三)再び幕府直轄領ののち宝暦一〇年(一七六〇)下総佐倉藩領。平塚宿の定助郷を勤め、享保三年(一七一八)の助郷高一〇四石(「平塚宿助郷帳」県史九)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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