日本大百科全書(ニッポニカ) 「括戸政策」の意味・わかりやすい解説
括戸政策
かっこせいさく
中国、唐の玄宗のときに宇文融(うぶんゆう)が行った逃戸検括(とうこけんかつ)(逃亡民を調べ戸籍につける)政策。721年に監察御史(かんさつぎょし)の宇文融の提案に基づいて施行された括戸は、則天武后朝における李嶠(りきょう)の逃戸対策をほぼ踏襲するものであった。宇文融は勾当租庸地税使(こうとうそようちぜいし)と覆囚(ふくしゅう)使に任ぜられ、判官を各地に派遣し、軍府の州などからの逃戸を本籍地あるいは寄寓(きぐう)地の戸籍につけて、彼らから租庸と地税を徴収しようとした。しかし成果があがらず、724年に従来の方針を打ち切り、浮逃戸を寄寓地の戸籍につけて客戸(きゃっこ)という名を与え、軽税のみを徴収する政策に踏み切り、宇文融を勧農使に任命した。彼は、わずか1年足らずの間に、80余万の客戸と広大な登記されていなかった土地(羨田(せんでん))を得た。この際の客戸の公認は、租庸調制の廃棄、両税法の成立への道を開くことになる。
[礪波 護]