提川村(読み)さげのかわむら

日本歴史地名大系 「提川村」の解説

提川村
さげのかわむら

[現在地名]伊万里市松浦町まつうらちよう提川

北部は大陣ううじん(二六八メートル)により古川ふるこ村と境し、南は松浦川に注ぐ黒尾岳くろおだけ川をもって桃川もものかわ村に隣接する。山麓丘陵の浸食谷に集落が立地し、梅岩うめいわ梅坂うめさか岩野いわんの岳坂たけさか(岳・坂口さかぐち村分むらぶんの三つに区分される。小字名に達磨だるま道園どうぞの惣五郎そうごろう鴨助かもすけ四太郎しだろうなどがある。慶長絵図には「さげん川 梅野ノ内」と記され、正保絵図では「ひさげ のかわ 村」とある。

天正一五年(一五八七)豊臣秀吉の天下統一にあたって肥前竜造寺氏領地に定められたが、杵島きしま郡の塚崎つかざき(のち佐賀藩武雄領)の中に梅野うめの村があり、提川・桃川はその内に含まれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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