伊万里市(読み)イマリシ

デジタル大辞泉 「伊万里市」の意味・読み・例文・類語

いまり‐し【伊万里市】

伊万里

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日本歴史地名大系 「伊万里市」の解説

伊万里市
いまりし

面積:二五四・五六平方キロ

県の最西部に位置し、北は東松浦郡肥前町・北波多村と唐津市、南は西松浦郡および杵島きしま郡山内町に挟まれた形で、西には長い海岸線で伊万里湾が入り込んでいる。市域は松浦杵島丘陵地区に包含され、その中に伊万里湾盆・井手野いでの盆地・ももかわ盆地・大川野おおかわの盆地・滝野たきの谷などの盆地群が形成される。第三紀の砂岩層からなる丘陵のところどころを火山岩が貫いて山頂部を覆い、それらのうち目立つものが国見くにみ岳・八幡はちまん岳・青螺せいら山・烏帽子えぼし岳・まゆ山・こし岳・大野おおの岳などである。

伊万里湾盆では有田川・伊万里川の小河川が伊万里湾へ注ぐ。桃ノ川盆地・大川野盆地を貫流する松浦川と、井手野盆地を貫流する徳須恵とくすえ川は合流して松浦川となり唐津湾に注ぐ。また、志佐しさ川は滝川内たきがわち川内野かわちのの滝野谷をつくり長崎県松浦市へ流下する。

浸食谷が溺れた伊万里湾は屈曲の多い海岸と島々の変化に富み、若干の隆起と有田川・伊万里川のデルタならびに干拓によって現在に至った。

建保六年(一二一八)八月の源披譲状案(伊万里文書)には「伊万里浦」とあるが、伊万里の地名起源について、紀飯麻呂いいまろにちなむという説と、古代郷里または条里の遺称であるという説がある。前者は、儒者の草場佩川が天保一三年(一八四二)岩栗いわくり神社(現在伊万里神社に合祀)の鳥居の銘に、天平年中(七二九―七四九)紀飯麻呂が西下して大宰少弐藤原広嗣の乱を平定し、この地に祖先武内宿禰を祀った旨を記したことに基づき、飯麻呂が「イマリ」となったという。たしかに「続日本紀」の天平一二年九月の条に広嗣の乱と飯麻呂の記事があるが、伊万里の地名と直接に結び付く証拠はない。後者は、吉田東伍が「大日本地名辞書」に「古制郷里の遺唱にして、伊万が里の謂なり」という。また米倉二郎は文永六年(一二六九)七月の源留譲状案(伊万里文書)にみえる「伊万里三坪参段参杖」という坪付の仕方から、条里制の残した地名だとする。

なお江戸時代の紀行文には「今里」「今利」とも書く。

〔原始〕

東山代ひがしやましろ脇野の白蛇山岩陰わきののしろへびやまいわかげ遺跡の発掘によって、一三層のうち上位九層の縄文時代、下位三層の先土器時代の文化層が確認され、先土器から縄文時代への編年の確立がされた。

縄文時代の石鏃の出土地は、東山代町の白幡しらはたつじどう大坪おおつぼ町、南波多みなみはた水留つづみである。縄文集落遺跡としては、東山代町の白幡で石鏃・石斧が押型文土器と同居した早期のものが、波多津はたつ筒井つつい黒川くろがわ町の金剛島こんごうじまでは曾畑式土器と同居した前期のものが、東山代町の辻ン堂では阿高式土器と同居した中期のものがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊万里市」の意味・わかりやすい解説

伊万里〔市〕
いまり

佐賀県西部,伊万里湾にのぞむ市。 1954年伊万里,山代の2町と黒川,波多津,南波多,大川,松浦,二里,東山代の7村が合体して市制。中心市街地の伊万里は東松浦,北松浦の両半島に囲まれ,湾口部に鷹島,福島 (ともに長崎県) を配した天然の良港をもつ。中世には松浦党水軍 (倭寇) の根拠地。江戸時代は伊万里焼などの積出港として繁栄。明治以後は県西部の中心都市,佐世保炭田の産炭地として栄えたが,59~70年の間に炭鉱不況により十余の炭鉱がすべて閉山。代って西岸の久原および東岸の黒川を中心とする臨海工業地区の建設が進められ,木材,合板,造船,陶磁器の諸工業が興っている。なお伝統工業としては藩窯鍋島焼の伝統をもつ大川内焼 (南部の大川内地区) が特に有名で,伊万里かまぼこも名産。東部の大川地区では果樹を産する。西部の城山一帯,北東部の海岸は玄海国定公園に属する。伊万里駅は JR筑肥線と松浦鉄道の結節点。国道 202号線,204号線,498号線が交わる交通の要衝。面積 255.25km2。人口 5万2629(2020)。

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