摂津親致(読み)せっつのちかむね

朝日日本歴史人物事典 「摂津親致」の解説

摂津親致

没年:嘉元1.4.14(1303.5.1)
生年:寛元4(1246)
鎌倉幕府評定衆中原師連の子。藤原姓に改姓して,摂津氏を称する。文永8(1271)年に引付衆となり,弘安1(1278)年には評定衆に加えられた。同年摂津守となる。弘安7年,北条時宗死去を機に出家し,法名を道厳と称した。弘安8年に問注所執事となり,永仁1(1293)年12月まで在任した。永仁3年には官途奉行,同4年安堵奉行,同6年には越訴奉行を兼務した。正安1(1299)年に奏事,乾元1(1302)年に引付頭人となった。<参考文献>佐藤進一「鎌倉幕府職員表復原の試み」(『中央大学文学部紀要/史学科篇』28~30,32号)

(永井晋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「摂津親致」の解説

摂津親致 せっつの-ちかむね

1246-1303 鎌倉時代の幕府官僚。
寛元4年生まれ。中原師連(もろつら)の子。藤原姓にあらため,摂津氏を称す。文永8年引付衆,弘安(こうあん)元年評定衆,摂津守(かみ)となる。8年問注所執事,正安(しょうあん)4年引付頭人。乾元(けんげん)2年4月14日死去。58歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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