朝日日本歴史人物事典 「中原師連」の解説
中原師連
生年:承久1(1219)
鎌倉幕府評定衆中原師員の子。父師員と同じく明経道を学んで将軍藤原頼嗣に学問を講じたが,明経道教官を志さずに幕府吏僚として活動して,摂津氏(子の親致が摂津氏を称する)を幕府評定衆の家として確立した。嘉禎2(1236)年権少外記。翌3年,掃部権助となる。仁治2(1241)年,縫殿頭。建長6(1254)年,引付衆。文応1(1260)年,一芸に秀でたものを将軍御所に祗候させる昼番衆に選ばれた。弘長3(1263)年には,御所奉行となる。同年,将軍上洛の先例を幕府に提出した。文永1(1283)年には評定衆に加えられた。同8年,病により出家,法名は性円。<参考文献>永井晋「中原師員と清原教隆」(『金沢文庫研究』281号)
(永井晋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報