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中原師連 なかはらの もろつら

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中原師連 なかはらの-もろつら

1219-1283 鎌倉時代の幕府官僚。
承久(じょうきゅう)元年生まれ。中原師員(もろかず)の子。明経(みょうぎょう)道をまなび,将軍九条頼嗣(よりつぐ)につかえ学問を講義し,建長6年引付衆となる。正嘉(しょうか)元年源頼朝が建立した勝長寿院の再建工事にたずさわり,文永元年評定衆となった。弘安(こうあん)6年5月4日死去。65歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中原師連

没年:弘安6.5.4(1283.5.31)
生年:承久1(1219)
鎌倉幕府評定衆中原師員の子。父師員と同じく明経道を学んで将軍藤原頼嗣に学問を講じたが,明経道教官を志さずに幕府吏僚として活動して,摂津氏(子の親致が摂津氏を称する)を幕府評定衆の家として確立した。嘉禎2(1236)年権少外記。翌3年,掃部権助となる。仁治2(1241)年,縫殿頭。建長6(1254)年,引付衆。文応1(1260)年,一芸に秀でたものを将軍御所に祗候させる昼番衆に選ばれた。弘長3(1263)年には,御所奉行となる。同年,将軍上洛の先例を幕府に提出した。文永1(1283)年には評定衆に加えられた。同8年,病により出家,法名は性円。<参考文献>永井晋「中原師員と清原教隆」(『金沢文庫研究』281号)

(永井晋)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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