ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボニファチウス8世」の意味・わかりやすい解説
ボニファチウス8世
ボニファチウスはっせい
Bonifatius VIII
[没]1303.10.11. ローマ
第193代教皇(在位 1294~1303)。本名 Benedict Caetani。ボローニャで法律を学び,教皇庁で重用され,1281年に助祭枢機卿(→カーディナル)に叙任された。教皇ケレスチヌス5世を退位させフモネ城に幽閉,その後継として 1294年に登位した。治世はフランス王フィリップ4世との闘争に明け暮れていた。イングランドとの戦争の戦費を聖職者への課税で調達しようとしたフィリップ4世に対し,1296年教皇の許可なき課税を禁じる大勅書を発布。しかし王から輸出禁止と外国商人の追放などの抵抗を受け,新たな大勅書を発して前言を撤回せざるをえなかった。1297年,コロンナ家の反乱の鎮圧後に王との関係は改善に向かい,フィリップ4世の祖父ルイ9世を列聖。しかし 1301年に王がパミエ司教ベルナール・ド・セセを投獄したことで再度対立が激化し,1302年大勅書ウナム・サンクタムを発布して教皇権の絶対性を主張した。1303年にはハプスブルク家のアルブレヒト1世の皇帝位を承認してその力に期待を寄せたが,同 1303年9月,大法官ギヨーム・ド・ノガレによってアナーニで 2日間捕われ(→アナーニ事件),この心労により 1ヵ月足らずのちに死去した。1298年,旧教会法典の "Liber Sextus"を公布し,1300年を最初の聖年(→ヨベルの年)として恩赦の制度を確立,芸術の再興にも尽力した。
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