教皇皇帝主義(読み)きょうこうこうていしゅぎ(英語表記)Papocäsarismus

精選版 日本国語大辞典 「教皇皇帝主義」の意味・読み・例文・類語

きょうこうこうてい‐しゅぎ ケウクヮウクヮウテイ‥【教皇皇帝主義】

〘名〙 教皇権が皇帝権に優越するという考え。西ローマ帝国滅亡(四七六)後盛んになったもので、中世ヨーロッパのグレゴリウス七世、インノケンティウス三世などに見られた。⇔皇帝教皇主義

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「教皇皇帝主義」の意味・わかりやすい解説

教皇皇帝主義
きょうこうこうていしゅぎ
Papocäsarismus

ローマ教皇グレゴリウス7世 (在位 1073~85) らが主唱した教皇権に関する説。教皇は王であるキリスト代理として,地上最高の絶対権を有し,皇帝権そのほかの俗権もすべてこれに従属すべきであるとした。ビザンチン帝国イギリスヘンリー8世などの皇帝教皇主義に対していわれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「教皇皇帝主義」の意味・わかりやすい解説

教皇皇帝主義 (きょうこうこうていしゅぎ)

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世界大百科事典(旧版)内の教皇皇帝主義の言及

【皇帝教皇主義】より

…皇帝Caesar,Kaiserが同時にローマ教皇Pope,Papstでもあるという原則,つまり,精神界をつかさどる教会の最高権威が,俗界の長たる国家の最高権力者の手中に握られているような国家・教会関係を示す造語として,18世紀以来使用され,本来,4世紀以後のローマ帝国(ビザンティン帝国)を対象とするものであったが,のちには,1917年までのロシア国教会,中世初期のカール大帝のフランク王国,近代のカトリック専制国家,領邦君主が自国のプロテスタント教会の最高司教の地位にあったドイツ・プロテスタント領邦国家などにも拡大適用された。 19世紀カトリック歴史家によってしばしば用いられたことからもわかるように,この概念はもともと,中世西ヨーロッパで叙任権闘争を通じて典型的に出現したような,ローマ教皇が神聖ローマ皇帝に対し優越する権威を主張した国家・教会関係(教皇皇帝主義Papocäsarismus)の反転像を示そうとしたものである。ビザンティン学者たちによってそれがビザンティン帝国の実情にそぐわないことは,しばしば指摘されている。…

※「教皇皇帝主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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