ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘンリー8世」の意味・わかりやすい解説
ヘンリー8世
ヘンリーはっせい
Henry VIII
[没]1547.1.28. ロンドン
イギリス,チューダー朝第2代のイングランド王(在位 1509~47)。ヘンリー7世の二男。兄アーサーの死により,1509年即位,兄の妃であったカサリンと結婚。治世の初期はトマス・ウルジーを重用し,その献策で大陸の複雑な国際関係に介入,均衡策でイングランドの利を求めた。王妃カサリンとの間には長女メアリー(のちのメアリー1世)のほか 5人の子をもうけたが,王子が生まれなかったことから,女官アン・ブリン(1533年のちのエリザベス1世を出産,男子には恵まれなかった)との結婚を望んだが,ときの教皇のクレメンス7世の同意を得られなかった。そこで 1534年までに,教皇に上納していた聖職就任後初年度の収入を,以後イングランド国王に納め,国教のために使用する初年度収入税法,ローマ教皇庁に対する上訴を禁止する上告禁止法,国王至上法を発してイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)を樹立。1536年には全国の小修道院を解散させ,教会が所有していた莫大な不動産を王室に移管し(→修道院解散),ローマ教皇庁から分離させ宗教改革を断行した。さらに北部大諸侯を牽制する北部裁判所の設立,アイルランド支配の強化,スコットランド,フランスとの戦争など,王権の拡張に努めた。6人の王妃のうち 2人(アン・ブリン,カサリン・ハワード)を処刑し,ウルジー,トマス・モア,トマス・クロムウェルらの重臣を処刑ないしそれに近いかたちで死にいたらせるなど,残酷な面もあったが,国民には概して好評であった。1536年ジェーン・シーモアと結婚,男子(のちのエドワード6世)をもうけた。(→イギリス史)
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