皇帝教皇主義(読み)こうていきょうこうしゅぎ(英語表記)Cäsaropapismus[ドイツ]

精選版 日本国語大辞典 「皇帝教皇主義」の意味・読み・例文・類語

こうていきょうこう‐しゅぎクヮウテイケウクヮウ‥【皇帝教皇主義】

  1. 〘 名詞 〙 皇帝権が教皇権に優越するという考え。東ローマ帝国ロシア帝国などに見られた。⇔教皇皇帝主義

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改訂新版 世界大百科事典 「皇帝教皇主義」の意味・わかりやすい解説

皇帝教皇主義 (こうていきょうこうしゅぎ)
Cäsaropapismus[ドイツ]

皇帝Caesar,Kaiserが同時にローマ教皇Pope,Papstでもあるという原則,つまり,精神界をつかさどる教会の最高権威が,俗界の長たる国家の最高権力者の手中に握られているような国家・教会関係を示す造語として,18世紀以来使用され,本来,4世紀以後のローマ帝国ビザンティン帝国)を対象とするものであったが,のちには,1917年までのロシア国教会,中世初期のカール大帝フランク王国,近代のカトリック専制国家,領邦君主が自国のプロテスタント教会の最高司教の地位にあったドイツ・プロテスタント領邦国家などにも拡大適用された。

 19世紀カトリック歴史家によってしばしば用いられたことからもわかるように,この概念はもともと,中世西ヨーロッパで叙任権闘争を通じて典型的に出現したような,ローマ教皇が神聖ローマ皇帝に対し優越する権威を主張した国家・教会関係(教皇皇帝主義Papocäsarismus)の反転像を示そうとしたものである。ビザンティン学者たちによってそれがビザンティン帝国の実情にそぐわないことは,しばしば指摘されている。ベックHans-Georg Beckがその一人であり,彼はそれにかえて,〈政治的(ないし,政治化された)オルトドクシーPolitische Orthodoxie〉概念を提示する。彼によれば,それは,キリスト教をローマ帝国の精神的統一基盤にしようとしたコンスタンティヌス大帝が,教義をめぐる教会内の争いに直面して,〈正しい教義(オルトドクシー)〉についての裁定者の地位に立たされたことに起因し,皇帝はこうして自らが決定した〈正しい教義〉を,つづいて,権力をもって実現せざるを得ず,この体制が定着するなかで,政治的オルトドクシーに所属しない多数のキリスト教徒をかかえたビザンティン帝国では,そのために,政治の次元での判断の自由の余地は極端に狭められてしまう結果となり,これを確保しようとすれば,皇帝は〈政治的オルトドクシー〉を原理的に否定することなしに,それからできるだけ抜け出すという困難な道を模索しなければならなかった。以上がベックの見解であるがいずれにせよ〈皇帝教皇主義〉という概念でビザンティン国家と教会の関係を規定してしまえば,国家が対教会関係ではまりこんだ袋小路の方はまったく考慮外におかれてしまうということを指摘している。同様に,先の他の諸実例も,それぞれ固有の事情をもっており,皇帝教皇主義や教皇皇帝主義といった一括概念では歴史的事情を正しくとらえることができないのは明らかである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「皇帝教皇主義」の意味・わかりやすい解説

皇帝教皇主義
こうていきょうこうしゅぎ
Caesaropapismus ドイツ語

皇帝の権威を教皇のそれよりも優位にあるとし、皇帝が教皇をもその管轄下に置くことをいう。すなわち皇帝が教皇の地位をも兼ね、信仰、教会および聖職者に関する事柄をも管理する。この逆の関係を「教皇皇帝主義」とよぶ。いずれも西ヨーロッパ中世において12世紀のころから使用され、ローマ教皇と封建諸侯との対立関係に適用される概念である。11世紀に神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が皇帝権の優位を主張し、対する教皇グレゴリウス7世が教皇権の優位を主張し、双方が争った(聖職叙任権闘争)のはその対立関係の典型的なものといえる。

 皇帝教皇主義の典型としてビザンティン皇帝がよく引用されるが、政教分離を前提とし、皇帝と教皇とがライバル関係にあるラテン世界において適用される概念を、政教一致国是とするビザンティン皇帝に当てはめるには無理がある。事実、「キリストの友」としてのビザンティン皇帝には、総主教を上回る特殊な霊性が認められ、総主教の任免権も皇帝にあった。しかし他方、教会、修道院および聖職者の庇護(ひご)は皇帝の義務でもあり、ギリシア正教興隆は諸皇帝の尽力によるところが多いのも事実である。したがって、この概念の使用にはきわめて慎重でなければならない。

和田 廣]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「皇帝教皇主義」の意味・わかりやすい解説

皇帝教皇主義
こうていきょうこうしゅぎ
Cäsaropapismus

王権または皇帝権が教会の内部組織に干渉し教会機構を支配する制度。本来世俗権力に属する王権,皇帝権が宗教領域を司る教会の領域に関与し,聖職者の任免や教義典礼の決定に影響力を及ぼすもので,コンスタンチヌス1世 (大帝) 以降の末期ローマ帝国,ビザンチン帝国,イワン1世 (雷帝) ,ピョートル1世 (大帝) のロシア帝国とギリシア正教会との関係においてその典型が認められる。もともと教会の保護者としての皇帝権の政治的機能から発生し,西ヨーロッパでもカルル1世 (大帝) のカロリング朝,オットー1世 (大帝) ,同2世のザクセン朝に認められるが,11~12世紀初めの叙任権論争の結果,俗権による教会支配は形式上否定された。しかし宗教改革によって樹立される国教会制度 (→領邦教会制度 ) のもとで,この原理は別の形で復活する。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「皇帝教皇主義」の解説

皇帝教皇主義(こうていきょうこうしゅぎ)
Caesaropapism

ビザンツ帝国では帝権が教権に優越し,皇帝即教皇であると,国家の教会に対する管理度を強調する説。しかしこの説は不正確で,例えばコンスタンティヌス1世ユスティニアヌス1世イコン破壊派の諸帝などのように,教会を管理しようとした皇帝もいたが,他方では国家と教会は併存する統一体で,両者は人類の善のために緊密に連携し,友好的調和を保つべきものとも考えられ,また教会が民衆に持つ影響力を行使して,政府の意図を阻止することもあった。

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百科事典マイペディア 「皇帝教皇主義」の意味・わかりやすい解説

皇帝教皇主義【こうていきょうこうしゅぎ】

中世ヨーロッパにおいて俗権(皇帝権)が教権(教皇権)に対して優位にあるとした理念。ビザンティン帝国で典型的にみられ,ユスティニアヌス1世の政治理念が代表とされる。教権優位を主張する〈教皇皇帝主義〉に対するもので,両者の争いは具体的には聖職に関する叙任権闘争の形をとった。今日の歴史学ではこうした一括概念に対する疑問が投げかけられている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「皇帝教皇主義」の解説

皇帝教皇主義
こうていきょうこうしゅぎ
Caesaropapism

皇帝が同時にキリスト教会(ギリシア正教会)の首長を兼ねるという,ビザンツ帝国の政治理念
皇帝が公会議を主宰し,正統な信条を定め,主教を任免するなど,本来教会の首長が扱った事柄をすべて処理した。コンスタンティヌス1世のとき,そのめばえがみられ,ユスティニアヌス1世のとき完成した。西欧の政教分離と対比して,政教一致の例とされる。

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世界大百科事典(旧版)内の皇帝教皇主義の言及

【神寵帝理念】より

…かかる理念は遠くペルシアにも見られるが,直接的には2世紀からローマ帝国に徐々に現れてきた皇帝観に連なり,教父のオリゲネスにも萌芽が見られる。実質的に神寵帝の神的権威は現身の神としての皇帝の場合と異ならず,それを推し進めたキリスト教は皇帝教皇主義に必然的に結びついてゆくことになる。皇帝【松本 宣郎】。…

※「皇帝教皇主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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