ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グレゴリウス7世」の意味・わかりやすい解説
グレゴリウス7世
グレゴリウスななせい
Gregorius VII
[没]1085.5.25. サレルノ
ソバーナ近郊出身の第157代教皇(在位 1073~85)。聖人。本名 Hildebrand。中世における最も偉大な教皇の一人。教皇位を追われたグレゴリウス6世に付き添ってドイツへ赴き,その没後,帰国途上のクリュニー修道院で修道士となったとされる。ローマの副助祭(→助祭)をはじめ,教皇レオ9世に始まる教会改革運動で重要な役割を担い,1058年には助祭長となった。その間フランス,ドイツ,ミラノ,さらにおそらくはノルマン人支配下の南イタリアへも教皇大使として派遣された。1073年に教皇位につき,教会改革,十字軍による聖地回復,東西両教会の分裂からの再合同を目指す。しかし,神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世との対立が深まり,激烈な叙任権論争が起こった。1077年1月,北イタリアのカノッサ城で,破門の赦免を求めるハインリヒ4世を屈服させたが(→カノッサの屈辱),のちに劣勢に立たされ,1084年には皇帝の軍がローマを占領,クレメンス3世(対立教皇)が登位した。グレゴリウス7世はノルマン勢に救出されてサレルノに逃れ,そこで没した。グレゴリウス7世の教会改革や教会行政上の中央集権化は,中世教会を長く規定した。27条からなる『教皇令』Dictatus papaeが残されている。祝日は 5月25日。
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