文久山跡(読み)ぶんきゆうざんあと

日本歴史地名大系 「文久山跡」の解説

文久山跡
ぶんきゆうざんあと

[現在地名]大東町鳥海

鳥海とりうみ川上流の市之通いちのかようにあった洋式高炉による製鉄所。万延元年(一八六〇)、江刺郡人首ひとかべ(現江刺市)で産出する岩鉄餅鉄を利用する(製鉄所)開設願(「定留」鳥畑文書)が御山下代の渋民しぶたみ村芦文十郎から出され、しばらくの間藩営とすること、屋建設費用金二千七〇八切余を芦文十郎に貸与し一切の経営を請負わせることなどで同年九月許可された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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